伝記
カルロ・アクティスは、1991年5月3日にイギリスのロンドンで生まれ、2006年10月12日に15歳で亡くなったイタリア人のカトリック教会の聖人である。2025年9月7日に列聖された。
父アンドレア・アクティスと母アントニア・サルザーノは、ミラノ出身の裕福な家の出で、仕事のために短期間ロンドンに住んでいた。同じ年の5月18日にチェルシーの教会で洗礼を授けられ、9月に家族とともにミラノへ移った。両親は信仰に熱心ではなかったとされ、母は、息子の信仰と絶え間ない問いかけが、自分を信仰に連れ戻したと証言している。幼いころは、乳母に世話されることが多く、7歳の1998年6月16日に初聖体を、12歳の2003年5月24日に堅信を受けた。ミラノの小中学校に通い、イエズス会の高校に進んだ。成績は平凡だったが、読書を好み、情報科学を独学で学び、サクソフォンを自分で覚えた。ゲーム機を持っていたが、中毒を避けるために、遊ぶのは週に1時間だけに決めていたという。ハンサムで人気のある少年で、サッカーも楽しみ、友情を大切にした。
幼いころから信仰心が篤く、聖体の秘跡への賛美と聖母への崇敬が深く、毎日ミサに参加してロザリオを唱えた。困難な状況にいる友人を擁護し、ホームレスを支援するボランティア活動に加わり、初聖体や堅信を受ける子どもたちにカテキズムを教えた。家で働いていたモーリシャス出身の男性ラジェシュ・モフールは、アクティスとキリスト教について話すうちに洗礼を願い出た。男性の友人や母親も、アクティスとの対話の後に洗礼を願ったと伝えられる。コンピューターとインターネットの知識に優れており、専門の研究所の協力を得て、世界各地の聖体の奇跡を紹介するウェブサイトをつくった。この内容は150枚のパネルの展示会としても開かれ、5つの大陸のすべてで催されて、アメリカ合衆国だけでも約1万の小教区で開かれた。
2006年10月初旬に白血病を発症し、病気の苦しみを教皇と教会のために捧げた。10月12日にモンツァの病院で亡くなり、14日にミラノの教会で葬儀が行われた。2007年1月には、本人の遺言によって、アッシジの聖フランチェスコの故郷であるアッシジの墓地に遺体が移された。2012年10月に列福調査が宣言されて「神の僕」の称号を受け、2018年7月5日に教皇フランシスコにより「尊者」とされた。2020年2月21日には、2013年に膵臓の疾患にかかったブラジル人の少年が回復した件を、執り成しによる奇跡と認めて列福が承認され、同年10月10日にアッシジで列福式が行われた。
2024年5月23日には、2022年に自転車事故で脳出血となったコスタリカの女子大学生が、母親がアクティスの墓で祈ると回復した件が、2つ目の奇跡として承認された。同年7月1日の枢機卿会議で列聖が承認され、1980年代から1990年代生まれの世代から初めての聖人となることが決まった。2025年4月27日に予定された列聖式は、4月21日の教皇フランシスコの逝去に伴って延期され、教皇レオ14世が9月7日に改めて決定して、ヴァチカンで列聖式が執り行われた。
同じ年に亡くなった人物
- ラインハルト・コゼレック (2006年没)
- Ireneusz Palinski (2006年没)
- モハメド・ジョハル (2006年没)
- ケン・リッチモンド (2006年没)
- デューイ・レッドマン (2006年没)
同じ地域に関係する人物
- Anselmo Citterio (2006年没)
- マルガレーテ・フォン・ザクセン (1840-1858) (1858年没)
- ルパート・ホラース (1954年没)
- Giancarlo Brusati (2001年没)
- テオデリンダ (628年没)