伝記
モーリン・オハラは、1920年8月17日にアイルランドのダブリン郊外ラネラで生まれた女優で、歌手でもあった。本名はモーリン・フィッツシモンズで、6人きょうだいの2番目、家族の中で唯一の赤毛だった。父チャールズは衣料の商いをしており、少女のころから応援していた地元のサッカークラブ、シャムロック・ローヴァーズの経営にも出資した。母マーガレットは元オペラのコントラルト歌手で、女性服の仕立てでも成功した人物であり、オハラは歌の才能を母から受け継いだと語っている。姉のペギーは修道会に入り、慈善修道女となった。
幼いころは丸々と太った赤ん坊で、「子象」とあだ名された。活発な少女で、ドッダー川での釣り、乗馬、水泳、サッカーを好み、木登りもした。サッカーにあまりに熱中して、父に女子チームをつくるよう頼んだこともあり、10代のころには柔道も習った。5歳でダンスを始めたのは、占い師に金持ちで有名になると言われたのがきっかけで、友人に「世界で最も有名な女優になる」と話していたという。6歳のとき学校の舞台で詩を朗読し、観客の前で演じることに強く惹かれた。きょうだいと一緒に演劇、音楽、ダンスの教室に通い、芸事を愛する一家を、自らは「アイルランドのフォン・トラップ一家」と呼んだ。10歳でラスマインズ劇団に入り、14歳からはアビー劇場でも学んだ。
スクリーン・テストは不合格とされたが、俳優のチャールズ・ロートンが才能を認め、1939年にアルフレッド・ヒッチコック監督の『巌窟の野獣』で共演する機会をつくった。ロートンは姓のフィッツシモンズを改めるよう求め、本人の意に反して「オハラ」となった。同じ年にロートンとの『ノートルダムのせむし男』に出るためハリウッドへ渡り、RKOと契約した。以後、「テクニカラーの女王」と呼ばれるほど長く活躍した。情熱的でありながら分別のあるヒロインを演じることが多く、西部劇や冒険映画で知られた。
1941年の『わが谷は緑なりき』で最初にジョン・フォード監督と組み、1942年にタイロン・パワーと『黒い白鳥』に出演した。1947年には『三十四丁目の奇蹟』がクリスマス映画の古典となった。ジョン・ウェインとは1950年の『リオ・グランデの砦』で初めて共演し、1952年の『静かなる男』、1957年の『荒鷲の翼』、1963年の『マクリントック』、1971年の『ビッグ・ジェイク』と続いた。二人の相性が良く、夫婦か恋人だと思った人が多かったほどである。1960年代には年齢とともに母親役が増えた。1971年に引退したが、20年後にジョン・キャンディと共演した映画で復帰した。
結婚は3度で、2番目の夫との間に娘ブロンウィンがいる。1970年代の終わりには、3番目の夫チャールズ・ブレア・ジュニアが米領ヴァージン諸島のセント・クロイ島で営む航空事業を手伝い、雑誌の編集もしたが、のちにそれらを売って、アイルランドのグレンガリフで過ごす時間を増やした。2004年に出版した自伝はベストセラーになった。2014年11月には名誉アカデミー賞を贈られ、2015年10月24日、アメリカ合衆国アイダホ州の自宅で老衰のため亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ディック・ヴァン・パタン (2015年没)
- スティーヴ・ストレンジ (2015年没)
- ベン・ウルフ (2015年没)
- 汪東興 (2015年没)
- ヨハンナ・クヴァント (2015年没)
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