伝記
レイモンド・デイビス・ジュニアは、1914年10月14日にワシントンD.C.で生まれたアメリカの化学者、物理学者である。父は国立標準局の写真技師で、母を喜ばせるために数年間聖歌隊の少年を務めたが、音程は取れなかったという。14か月年下の弟ウォーレンが少年時代の変わらぬ遊び相手だった。1938年にメリーランド大学を化学で卒業し、同大学で修士号も得た。1年間ダウ・ケミカルで働いたのち、1942年にイェール大学から物理化学の博士号を取得した。
同じ1942年に予備士官としてアメリカ陸軍に入隊し、第二次世界大戦の大半を、ユタ州の試験場で化学兵器の実験結果を観察して過ごした。この間、グレートソルト湖の盆地を調べて、前身の古代湖の痕跡も探っている。1945年に除隊すると、モンサント社のマウンド研究所で、原子力委員会の関心にかなう応用放射化学の仕事をした。1948年にブルックヘブン国立研究所へ移った。研究所は原子力の平和利用の道を探っていた。本人によれば、「何か面白いことを見つけて取り組め」と言われ、以後はニュートリノの研究に生涯を捧げた。ニュートリノはベータ崩壊を説明するために予言されたが、別個の存在であることはまだ確認されていなかった。
デイビスの最大の業績は、宇宙から来るニュートリノを定量的に検出したことである。方法はブルーノ・ポンテコルボらの着想に基づく化学的なもので、塩素の同位体がニュートリノと反応してできるアルゴンの同位体を回収し、それが再び崩壊するのを計数管で数える。四塩化炭素の樽やタンクを検出器に使い、アルゴン37のできる割合を、標高や地下の深さの関数として調べた。1954年にブルックヘブンの原子炉に塩素を含む検出器を置き、のちにサバンナ・リバーの原子炉でも実験した。原子炉の稼働中と停止中で放射性アルゴンの増加は見られず、これは、塩素の反応を起こすニュートリノと原子炉の反ニュートリノが別物であることを示す最初の実験的な証拠とされた。
太陽からのニュートリノを検出する巨大な放射化学の装置、ホームステイク実験の中心となった科学者でもある。サウスダコタ州の金鉱の地下に巨大な空洞をつくり、615トンの四塩化炭素を満たして、平均1日1個ほどできるアルゴンを観測した。1968年から予備実験を、1970年から本観測を行い、太陽からのニュートリノの数が理論の予想よりも少ないことを見いだして、太陽ニュートリノ問題を提起した。1984年にブルックヘブンを退き、1985年からはペンシルベニア大学の教授を務めた。2002年、小柴昌俊らとともに、「天体物理学への先駆的貢献、特に宇宙ニュートリノの検出」によりノーベル物理学賞を受賞した。受賞時は88歳だった。
ブルックヘブンで妻のアンナ・トーリーと出会い、二人で全長21フィートの木造ヨットを造った。5人の子をもうけ、ニューヨーク州ブルーポイントの同じ家に50年以上暮らした。2006年5月31日、同地でアルツハイマー病の合併症のため亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- アンナ・ポリトコフスカヤ (2006年没)
- カール・ブラシア (2006年没)
- ティモ・サルパネヴァ (2006年没)
- タ・モク (2006年没)
- ジョージア・ギブス (2006年没)
同じ地域に関係する人物
- ルイス・ワース (1952年没)
- シャーンドル・ジェルジ (2005年没)
- ウィリアム・ボーモル (2017年没)
- サックス・ローマー (1959年没)
- コーネリアス・ヴァンダービルト (1877年没)