HISTORICAL PERSON · 2006年没

ジャック・パランス

アメリカの俳優。元プロボクサーで、戦時中は爆撃機のパイロットとして負傷し顔に整形手術を受けた。1950年に映画デビューし、『シェーン』などでアカデミー助演男優賞候補となった。

生涯
2006年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / モンテシート)
出生地
アメリカ合衆国(Lattimer)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

ジャック・パランスは、1919年2月18日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州のラティマー・マインズに、ウクライナからの移民の子として生まれた俳優である。本名はウォロディミル・パラフニュクといい、父イヴァンは無煙炭の炭鉱労働者、母アンナはウクライナ西部の出身で、どちらもウクライナ・カトリックの信者だった。6人きょうだいの一人で、若いころは炭鉱で働き、1930年代の終わりにはプロボクサーとなった。ジャック・ブラッツォの名で戦い、記録に残る唯一の試合は判定負けだったが、クラブの試合で15連勝し、うち12回がノックアウトだったともいわれる。のちに「頭をなぐられて200ドルでは割に合わない。劇場のほうがずっと魅力的に思えた」と語っている。

第二次世界大戦中はアメリカ陸軍航空軍に入り、操縦士として訓練を受けた。1943年に、副操縦士として乗っていたB-24爆撃機が墜落して、頭部にけがを負い、やけどもして、翌1944年に整形手術を受けて除隊した。この手術が、その痩せた独特の風貌をつくったと言われる。ノースカロライナ大学にフットボールの奨学金で入ったが、競技の商業化に嫌気がさして2年で去り、戦後はスタンフォード大学でジャーナリズムを学んだ。のちに演劇に転じたが、単位があと1つ足りないまま、舞台の道に進んだ。大学時代は、調理人やウェイター、救助員、写真家のモデルなどをして働いた。誰も本名を発音できなかったため、ウォルター・ジャック・パランスと名を改めた。

ニューヨークではマイケル・チェーホフに演技を学び、スポーツ記者として働いた。1947年にロバート・モンゴメリー監督の劇でブロードウェイにデビューし、転機は、マーロン・ブランドの代役として『欲望という名の電車』にかかわったことだった。のちにはスタンリー・コワルスキーの役でブランドの代わりに舞台に立っている。1949年にテレビに初めて出た。映画のデビューはエリア・カザン監督の『暗黒街の恐怖』で、1950年にギャングを演じた。1952年の『突然の恐怖』と、翌年の『シェーン』でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。強烈な個性はたちまちハリウッドで注目の的となった。1950年代後半の戦争映画『攻撃』や、アンソニー・パーキンスと共演した『ロンリー・マン』もヒットした。1957年には、テレビドラマの演技でエミー賞を受賞した。1960年にはハリウッドのウォーク・オブ・フェームに星を得た。

1960年代にはヨーロッパにも招かれ、ジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』をはじめ、異色の映画に出て、性格俳優としても開眼した。1970年代には刑事ドラマ『刑事ブロンク』に主演して、日本でも親しまれた。その後はB級作品に出ることも多かったが、1987年のパーシー・アドロン監督の『バグダッド・カフェ』で復活し、老いてもなお生きる活力を求める画家を演じた。1991年の『シティ・スリッカーズ』でアカデミー助演男優賞を受け、受賞の場で腕立て伏せを披露したことは、語り草になっている。3年後の続編にも出た。1980年代にはテレビの番組の司会も務めた。ウクライナ系アメリカ人の共同体にも関わった。2006年11月10日、老衰のため、カリフォルニア州の自宅で死去した。

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