伝記
ベティ・フリーダンは、1921年2月4日に生まれ、2006年2月4日に没したアメリカ合衆国のフェミニスト、ジャーナリスト、作家である。1963年の著書『女らしさの神話』(邦題『新しい女性の創造』)が大きな反響を呼び、アメリカにおける第二波フェミニズム(ウーマンリブ運動)の引き金となった。
イリノイ州ピオリアで、ベティ・ナオミ・ゴールドスタインとして生まれた。父ハリーはロシア系ユダヤ人の移民で、街角の小さなボタン屋を、繁華街の大きな宝石店にまで発展させた実業家だった。母ミリアムは地方紙の女性欄の編集委員だったが、結婚して家庭に入った。のちに本人は、母がいつも冷淡で批判的だったのは、好きな仕事をやめざるを得なかった辛さを隠すためだったのだろうと分析している。マサチューセッツ州の名門女子大学スミス・カレッジで心理学を専攻し、1942年に最優等で卒業した。カリフォルニア大学バークレー校大学院の奨学金を受けて、エリク・エリクソンに師事し、もう一度奨学金を受けたため、博士課程に進むつもりだったが、当時付き合っていた男性に反対されて、あきらめた。このことを、のちのインタビューで繰り返し語っている。
学業を断念して一度故郷に戻り、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに住んで、労働関連の新聞にニュースを提供する左派の通信社で編集委員を務めた。1946年には労働組合の週刊紙の記者になった。1947年、26歳で舞台演出家のカール・フリーダンと結婚し、ニューヨーク郊外のロックランド郡に居を構えた。三人の子をもうけたが、第二子の出産で退職し、以後はフリーランスのライターとして雑誌に記事を書いた。夫とは1969年に離婚した。
同窓会で15年ぶりに会った同窓生の多くが、自分と同じく郊外に住む専業主婦で、置かれた状況に不満を感じていることを知った。これがきっかけで、以後5年間、歴史学、心理学、社会学、経済学を学び、各地の女性たちに取材した。その結果、高等教育を受けてキャリアを築こうとしていた女性の多くが、いつの間にか家庭に入り、受けた教育や能力を生かせないまま、夫に依存し、社会が課した主婦・妻・母の「女の役割」にむなしさや不安を感じていることが分かった。この不満を彼女は「名前のない問題」と名づけ、1963年に調査結果を『女らしさの神話』にまとめて、「女らしさ」という既成の概念とその欺瞞を暴き、女性たちに家庭以外に自己実現の場を求めるよう促した。批評家の評価は賛否両論で、ボーヴォワールの『第二の性』に多くを負いながら明確な言及がない、との批判もあったが、全米でベストセラーとなり、多くの言語に翻訳された。2000年までの売上は300万部に達している。
1966年、女性の地位に関する全国委員会会議で、ほかの27人の女性とともに全米女性機構を設立して、初代会長に就任し、政府に女性の地位向上や、雇用、賃金、昇進での男女差別の解消、人工妊娠中絶の自由化などを呼びかけた。1970年8月26日には、女性参政権獲得50年を記念して、「平等を目指す女性たちのストライキ」が全米各地で行われた。ニューヨークの5番街では、彼女を先頭に数万人の女性が行進した。1971年には、グロリア・スタイネムらと、女性の公職への選任を進める組織の結成にも加わった。1981年の『セカンド・ステージ』で「家族の再建」を提起すると、急進的なフェミニストらから批判され、運動から距離を置くようになった。2006年2月4日、85歳の誕生日に、うっ血性心不全で亡くなった。
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