伝記
アレクサンドル・ヴァリテロヴィチ・リトヴィネンコは、1962年8月30日にソビエト連邦のヴォロネジで生まれた、ソ連国家保安委員会(KGB)とロシア連邦保安庁(FSB)の元職員である。最終階級は中佐だった。中学校を卒業した1980年にソ連軍に応召し、1988年からKGBの防諜部門に勤めた。ソ連崩壊後のロシアでも1991年から保安省、防諜庁、FSBの中央機構に勤務し、テロと組織犯罪への対策を専門とした。1994年に妻マリーナと結婚し、のちに一男をもうけた。1997年にはFSBの組織犯罪対策部門の先任作戦職員で、第7課の副課長だった。
1998年11月、同僚7人とともに記者会見を開き、1997年11月に局長の少将と大佐から、実業家ボリス・ベレゾフスキーらの暗殺を口頭で指示されたが、拒否したと発表した。さらに、FSBの一部の幹部が政治的な脅迫や契約殺人などにFSBを利用していると告発した。以来、脅迫を受けるようになった。妻マリーナによれば、当時FSB長官だったウラジーミル・プーチンに直訴したが関心を示されず、やむなく記者会見に踏み切ったという。1999年3月に権限逸脱の容疑で逮捕されてモスクワの拘置所に入れられ、同年11月に無罪となったが、判決の直後に別件で再び逮捕され、刑務所に収監された。2000年に裁判は停止されたが、3度目の刑事告発がなされ、出国しないことを条件に釈放された。
2000年11月1日、政治的な弾圧を非難して、トルコ経由でイギリスに亡命した。これにより4度目の刑事告発がなされ、2002年には欠席裁判で禁固3年半(執行猶予1年)の判決が下された。2006年10月にイギリスの市民権を得て、プーチン政権とチェチェンに対するロシア政府の対応を、徹底して批判した。2002年にはユーリー・フェリシュチンスキーとの共著で、1999年にモスクワなどで起きた高層アパートの連続爆破事件は、プーチンを権力の座に押し上げるためFSBが仕組んだ偽装テロだったと主張した。同年の著書『ルビヤンカの犯罪集団』では、プーチンがFSB時代に自ら組織犯罪に手を染めていたと暴露した。2003年には、モスクワの劇場占拠事件の疑問点も指摘した。
2006年11月1日の夜、自宅で突然体調を崩し、3日に地元の病院に収容された。当初は胃腸炎と診断されたが悪化を続け、本人は毒を盛られたと主張した。17日にロンドン中心部の大病院に転院し、タリウム中毒が疑われていたが、尿の検査から放射性物質のポロニウム210が検出された。11月23日、急性放射線症候群のため集中治療室で亡くなった。44歳だった。異変が起きた1日には、ロンドンのホテルのバーで元KGB職員らと会い、その前には寿司店でイタリア人の研究者と昼食をとっていた。自宅やホテル、寿司店からは放射性物質の痕跡が確認された。死の直前にはイスラム教に改宗しており、死後にはプーチンを糾弾する内容の遺書が公表された。
2007年5月、イギリスの当局は元KGB職員アンドレイ・ルゴボイを殺人罪で告発し、身柄の引き渡しを求めたが、ロシアは憲法を理由に拒んだ。両国は外交官を4人ずつ追放した。ルゴボイは同年12月にロシアの下院議員に当選した。2016年1月、英国の調査委員会は報告書で、殺害の計画はおそらくプーチンによって承認されたとの見方を示したが、ロシア政府は反発した。妻マリーナは声明で、夫の言葉が正しかったと述べた。
同じ年に亡くなった人物
- ドン・トンプソン (2006年没)
- ゴードン・パークス (2006年没)
- ワレンチン・ムラトフ (2006年没)
- ヤン・ヴェルナー・ダニエルセン (2006年没)
- カール・ブラシア (2006年没)
同じ地域に関係する人物
- Flora Murray (1923年没)
- トマス・マロリー (1471年没)
- ケイト・グリーナウェイ (1901年没)
- エメリン・パンクハースト (1928年没)
- ジョン・コンスタブル (1837年没)