HISTORICAL PERSON · 2007年没

シュリ・チンモイ

インド出身の霊性指導者。1964年にニューヨークへ移住して瞑想の指導や講演を行い、作家・画家・作曲家としても活動した。カルロス・サンタナらが師事した。

生涯
2007年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / クイーンズ区)
出生地
バングラデシュ人民共和国(チッタゴン県)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

シュリ・チンモイは、本名をチンモイ・クマール・ゴーシュといい、1931年8月27日、東ベンガルのチッタゴン地区のシャクプラ村に、7人きょうだいの末っ子として生まれたインド出身の霊性指導者である。父は元鉄道の検札係で銀行家のシャシ・クマル・ゴーシュ、母は信心深い主婦のヨーガマヤ・ゴーシュだった。11歳のころから瞑想を始めたが、1943年に父を病気で亡くし、その数か月後には母も病気で亡くして孤児になった。翌1944年、12歳の彼は兄弟姉妹とともに、兄のフリダイとチッタがすでに根を下ろしていた南インドのポンディシェリのシュリ・オーロビンド・アシュラムに入った。「チンモイ」は「神の意識に満ちた」の意で、この名を与えたのは兄のチッタだったという。

アシュラムでは約20年を過ごし、瞑想を含む霊性の修行に加えて、ベンガル語と英語の学習、陸上競技の練習、小さな工場での仕事などを行った。10代と20代には短距離走や十種競技の選手でもあった。1955年、アシュラムの管理を担い、ベンガル語の文書を英語に翻訳していたノーリニ・カンタ・グプタの秘書になった。自身も霊性の導師についての文章を発表し、詩や歌、アシュラムでの生活の感想をノートに書き続けた。

1964年4月13日、33歳のとき、アメリカ人の後援者の招きを受け、西洋の人々に霊的な指導をするため、ニューヨークへ移住した。本人は、内なる声に促されたと述べている。最初はインド領事館で旅券やビザの発行を手伝う職に就いた。同僚や上司の支えで、ヒンドゥー教についての講演を頼まれるようになり、大学や、のちには国際連合で話すようになった。1965年にグッゲンハイム美術館に招かれて3曲を演奏し、同じ年の後半に月刊誌を出し始めた。1966年7月22日には、瞑想や霊的な哲学を教え、適度な禁欲の生活を実践するための「シュリ・チンモイ・センター」の最初の拠点を、プエルトリコのサンフアンに創設した。のちに世界の約60か国に100以上のセンターができたという。

1968年から1970年にかけて、イェール、ハーバード、コーネルなどの大学で講演し、日本と極東を初めて訪れた。1970年4月に国連で「ピース・メディテーション」と呼ばれる公開の瞑想を始め、以後、毎週定期的に開かれている。1970年代にはフルートやエスラージの演奏と作曲を始め、ギタリストのカルロス・サンタナやジョン・マクラフリンが弟子となった。二人は数年間師事したのち離れ、サンタナは1980年代に関係が悪くなったと語っている。1977年には、マラソンや水泳、サイクリングなどを世界中で開く目的でマラソンチームを創設した。1987年には国際的な「ピース・ラン」として拡大し、のち「ワールド・ハーモニー・ラン」と改称され、おおむね2年ごとに開催された。「平和は私から始める」を標語とし、これは何かに対する抗議や政治運動ではないと説いた。元の弟子の一部は、彼がカルトを運営していたと非難している。

1993年にはシカゴの世界宗教会議の初の本会議に招かれ、沈黙の瞑想を行った。2007年10月11日、心筋梗塞のため76歳で亡くなった。

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