HISTORICAL PERSON · 2007年没

ノーマン・メイラー

米国の作家。自らの従軍体験に基づく『裸者と死者』がベストセラーとなり、第二次大戦を描いた最良の米国小説の一つとされる。ノンフィクション小説の革新者。

生涯
2007年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ニューヨーク)
出生地
アメリカ合衆国(ロングブランチ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

ノーマン・キングズレー・メイラーは、1923年1月31日にニュージャージー州ロング・ブランチで、ユダヤ系の両親のもとに生まれたアメリカ合衆国の作家である。出生名はナヘム・マレク・メイラーといい、父アイザック・バーネットは南アフリカ生まれの会計士、母ファニー・シュナイダーは家政と看護の紹介所を営んでいた。両親ともリトアニア系のユダヤ人の血筋で、1927年には妹バーバラが生まれた。ブルックリンで育ち、1939年に16歳でハーバード大学に入った。専攻は工学だったが、選択科目で文章の講座を取り、小説に興味を持った。1941年、18歳のとき、短編「世界で一番すばらしいこと」で雑誌の大学対抗の懸賞に入選した。1943年に優等で卒業し、翌年1月に最初の妻ベアトリス・シルヴァーマンと結婚した。

1944年に陸軍に入り、徴兵猶予を求めたが認められなかった。フィリピンの第112騎兵連隊に配属され、最初は連隊本部でタイプを打ち、次いで電話線の架設兵となった。1945年の初めに偵察小隊に志願し、レイテ島やルソン島の戦いで、敵地での巡察を二十回以上こなし、何度も銃撃戦を経験した。終戦とともに進駐軍の一員として千葉県の館山に上陸し、のち銚子に移り、1946年には福島県の小名浜にも移って、5月に帰国するまで銚子に滞在した。軍曹に昇進し、一等料理人になった。戦争の体験を、人生で最悪であり、同時に最も重要な経験だったと語っている。日本とフィリピンにいる間、ほぼ毎日妻に手紙を書いており、約400通のこの手紙が、のちの小説の土台となった。日本については、のちに日本語版の翻訳者に「日本は私が見た国のうちでもっとも美しい国でした」と述べた。

1947年から翌年にかけてパリ大学でフランス語と文化の講座を取り、1948年に『裸者と死者』を発表した。ニューヨーク・タイムズのベストセラー欄に62週載り、1年目に100万部以上売れて、以来絶版になったことがない。戦中の経験に基づいて、敵の背後での長い巡察を中心に描き、第二次世界大戦を描いたアメリカ小説の最良の一つと称えられる。1951年の『バーバリの岸辺』は不評に終わった。1955年にはヴィレッジ・ヴォイスを3人の仲間と創刊した。1960年には、妻アデル・モラレスをペンナイフで刺して重傷を負わせ、暴行罪で有罪となって3年間の保護観察を受けた。1964年に雑誌に8か月連載した『アメリカの夢』は、翌年に単行本となった。

1968年に刊行した、ノンフィクション小説の『夜の軍隊』は、ピュリッツァー賞のノンフィクション部門と全米図書賞を受けた。1969年にはニューヨーク市長選に出たが、民主党の予備選で4位に終わった。『死刑執行人の歌』(1979年)は、殺人者ゲイリー・ギルモアの物語で、ピュリッツァー賞のフィクション部門を受けた。ほかの著作に『ザ・ファイト』(1975年)がある。事実を小説の手法で描く「創造的ノンフィクション」の革新者とされ、辛口の論客としても知られた。6度結婚して9人の子をもうけた。2007年11月10日、急性腎不全のため、ニューヨークのマウント・サイナイ病院で84歳で没した。

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