伝記
デヴィッド・フォスター・ウォレスは、1962年2月21日に生まれ、2008年9月12日に没したアメリカ合衆国の作家である。小説、短編、エッセイを発表し、大学で教えた。第二作の長編「インフィニット・ジェスト」(1996年)で知られ、ウィリアム・T・ヴォルマンと並んで、ピンチョン以降のポストモダン文学の旗手の一人と呼ばれた。2008年にはロサンゼルス・タイムズ紙の記者デヴィッド・ユーリンが、過去20年間で最も影響力があり革新的な作家の一人と評している。
ニューヨーク州イサカで、サリー・ジーン・ウォレスとジェームズ・D・ウォレスの間に生まれた。家族はイリノイ州に移り、妹エイミーとともに、チャンペーン・アーバナ地区で育った。父はイリノイ大学の哲学の教授、母は地元の短期大学の英語の教授だった。小学校の4年生からはアーバナに住んだ。10代のころは、地域で上位にランクされるジュニアのテニス選手で、このころを題材にしたエッセイも書いている。両親は無神論者だったが、彼は二度カトリック教会への入信を試みて、「入門期間で落第した」と語り、のちにメノナイト派の教会に通った。
父の母校アマースト・カレッジで英語と哲学を専攻し、1985年に最優等で卒業した。哲学では様相論理と数学を追究し、卒業論文は賞を受け、没後の2010年に自由意志についての本として出版された。英語の優等論文は、のちにデビュー作の草稿となった。『ヴィトゲンシュタインの箒』(1987年)である。哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの弟子を曾祖母にもつ女性を主人公にした長編小説で、24歳でのデビューだった。これを書いたとき、哲学が自分の50パーセントしか使わないのに対し、97パーセントを使っている感じがしたと語っている。1987年にアリゾナ大学で創作の修士号を取り、1989年秋に、哲学の大学院に通うためハーバード大学に行ったが、まもなくやめた。
短編をニューヨーカー、ハーパーズ、エスクァイアなどの雑誌に発表し、1991年にボストンのエマーソン・カレッジで非常勤の講師として文学を教え始めた。翌年にはイリノイ州立大学の英語学科に採用された。短編集に『奇妙な髪の少女』(1989年)があり、ほかに1999年と2004年にも短編集を出した。エッセイは、1997年と2005年、2012年の本にまとめられている。ノンフィクションとして、マーク・コステロと共著の『ラップという現象』(1990年)や、集合論における無限の歴史を扱った2003年の本もある。1997年にマッカーサー・フェローシップを受けた。2002年にはカリフォルニア州クレアモントのポモナ・カレッジの、創作と英文学の教授となった。
ポストモダンのアイロニーとメタフィクションを超えようとし、1990年に、そのような手法を「大きな絶望と停滞の担い手」だと主張した。「インフィニット・ジェスト」は、一部がテニスの学校を舞台とし、長さと、数多くの脚注を伴う型破りな構成で知られる。ケニオン大学での講演「これは水です」は、2010年にタイム誌が選ぶ学外者の講演の第1位となった。数十年にわたってうつ病と闘った末、2008年に亡くなり、死因は自殺とされる。未完の長編『ペイル・キング』は2011年に刊行され、2012年のピュリツァー賞小説部門の最終候補となった。
同じ年に亡くなった人物
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- ブライアン・ドイル (2008年没)
- オベ・アンダーソン (2008年没)
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同じ地域に関係する人物
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