伝記
ジョシュア・レーダーバーグは、1925年5月23日にアメリカ合衆国ニュージャージー州で生まれた分子生物学者である。父はラビのツヴィ・ヒルシュ・レーダーバーグ、母はエスター・ゴールデンバウム・シュールマンで、ユダヤ人の家庭に育った。生まれはモントクレアとされ、幼いころにマンハッタンのワシントン・ハイツへ移ったとされる。2人の弟がいた。ニューヨークの名門高校を15歳で卒業したのち、アメリカ科学研究所の実験室で場所を与えられて研究に触れ、1941年にコロンビア大学へ入学して動物学を専攻した。
大学ではフランシス・ライアンの指導を受け、アカパンカビを用いた生化学と遺伝学の実験を行った。医師の資格の取得と兵役を兼ねて、1943年には海軍病院の臨床病理検査室で衛生兵として働き、水兵の血液や便の検体からマラリアを調べた。学士号を得たのは1944年である。その後、コロンビア大学の内科外科大学院で医学を学びながら実験を続けた。オズワルド・アベリーがDNAの重要性を示した研究に刺激され、細菌は遺伝情報の正確な複製をただ受け渡すだけで、ある系統の細胞はすべて本質的にクローンだという当時の通念に疑いを抱き、その検証に取りかかった。
大学での進展は乏しく、ライアンの博士研究員時代の指導者だったエドワード・タータムに手紙を書いて共同研究を申し出た。1946年から47年にかけて休学し、イェール大学でタータムのもとで研究した。2人は大腸菌が有性的な段階に入り、接合によって遺伝情報を交換できることを示した。この発見と大腸菌の染色体地図づくりによって、1947年にイェール大学から博士号を得た。1946年12月13日には、やはりタータムの学生だったエスター・ツィンマーと結婚している。
医学の学位を仕上げにコロンビアへ戻らず、ウィスコンシン大学マディソン校の遺伝学助教授の職を選び、妻もこれに同行した。大学院生のノートン・ジンダーとともに、ウイルスを仲立ちにしてサルモネラ菌のある系統から別の系統へ遺伝物質が移ることを示した。この過程は形質導入と呼ばれ、異なる種の細菌が同じ抗生物質への抵抗性を短期間で獲得する理由を説明した。1957年にはウィスコンシン大学に医学遺伝学部門を設け、同じ年に全米科学アカデミーの会員にも選ばれた。1958年には、タータム、ジョージ・ビードルとともにノーベル生理学・医学賞を受け、受賞時は33歳であった。
受賞後はスタンフォード大学へ移り、遺伝学部門を創設して初代の部門長を務めた。スプートニクの打ち上げを受けて宇宙探査が生物学に及ぼす影響を案じ、地球外の微生物が宇宙船に乗って地球に入り込む危険と、反対に地球の微生物が探査機に付着して地球外生命の探索を損なう恐れを、全米科学アカデミーへの手紙で指摘した。宇宙飛行士や機器の検疫と、打ち上げ前の消毒を提唱し、カール・セーガンと組んで外生物学を訴えたことは、米航空宇宙局における生物学の役割を広げたとされる。1960年代にはエドワード・ファイゲンバウムらとエキスパートシステムのデンドラルを開発した。1978年からはロックフェラー大学の総長を務め、1990年に名誉教授となった。1989年にアメリカ国家科学賞、2006年に大統領自由勲章を受け、2008年2月2日に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
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- ジミー・ジュフリー (2008年没)
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