伝記
聖大アントニオスは、エジプト出身のキリスト教の修道士であり、正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会で聖人とされる人物である。生年は251年頃とされ、250年頃とする記述もあるが、没したのは356年1月17日である。修道士生活の創始者と見なされることが多く、ラテン語から聖アントニウスとも表記される。ただし彼を最初のキリスト教修道士とするのは誤りで、伝記などが示すように、彼以前にも多くの禁欲者がいた。彼は、荒野へ入った最初期の一人とされ、それが名声を高めたようである。おそらく話したのは母語のコプト語だけで、口述した手紙が七通現存する。
生涯について知られることの大半は、アレクサンドリアのアタナシオスが書いたギリシア語の『アントニオス伝』による。それによれば、彼は下エジプトのコマで、裕福な地主だった敬虔な両親のもとに生まれ、キリスト教徒としての教育を受けた。20歳頃に両親を亡くし、未婚の妹の世話を任された。ほどなく、福音書の「完全になりたいなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に与えなさい」という言葉に従うことを決めた。一族の土地の一部を近所の人に譲り、残りの財産を売り、その金を貧しい者に与えた。妹はキリスト教徒の処女たちの共同体に託し、自らは禁欲の生活に入った。
その後の15年ほどは、故郷の近くにとどまり、はじめは土地の隠修士の弟子として過ごした。食事はパンと塩と水だけで、肉もぶどう酒も口にせず、食べるのは多くても一日一度で、二日や四日も断食することがあったという。アタナシオスによれば、悪魔は倦怠や怠惰、女たちの幻影で彼を苦しめたが、彼は祈りの力でこれを退けた。その後、故郷の村に近い墓に移り、野獣の姿をした悪魔たちに打たれて、半死半生になることもあったと『伝』は記す。
35歳のとき、人里を離れて完全な孤独に入ろうと決め、ナイル川のほとりのピスピルの山に赴き、古いローマの砦にこもって、約20年間を過ごした。食べ物は壁越しに投げ入れられた。訪れる巡礼者には会おうとしなかったが、しだいに弟子になりたい者たちが周囲の洞窟や小屋に住み着き、修道者の集落ができた。彼らに導き手となるよう請われて、305年頃に隠れ場から出たが、衰えるどころか心身とも健康な姿に、人々は驚いたという。それから五、六年は、周りに集まった修道士たちの教育と組織づくりに力を注いだ。だが飽き足らず、再びナイル川と紅海のあいだの内陸の砂漠へ退いて、山に住み、その最後の45年間を過ごした。今もそこには、彼の名を冠した修道院が立っている。105歳の長寿を全うしたと伝えられる。
『アントニオス伝』は、のちにアンティオキアのエウァグリオスによってラテン語に訳され、東西の修道者に大きな影響を与えた。誘惑に耐える姿は美術や文学の題材となり、ボス、デューラー、ベラスケスらが描いた。かつて麦角中毒や丹毒などが「聖アントニウスの火」と呼ばれたのは、彼に祈れば癒されると信じられたからである。彼は動物の守護聖人ともされ、聖名祝日の1月17日には、ペットや家畜を祝福する「アントニオ祭」が行われる。