伝記
ウォルター・リーランド・クロンカイト・ジュニアは、1916年11月4日にアメリカ・ミズーリ州のセントジョセフで生まれ、テキサス州で育ったジャーナリストである。テキサス大学オースティン校に進んだが、三年次に仕事を始めたため卒業せずに退学した。地方紙の記者としてジャーナリズムの世界に入り、オクラホマ州の地方ラジオ局で報道レポーターを務めたほか、航空会社の地上職員なども経験した。1937年にアメリカを代表する通信社のUP通信に入社し、これが本格的な報道活動の出発点となった。
第二次世界大戦では従軍記者としてロンドンを拠点にヨーロッパ戦線を取材し、ロンドン大空襲、ノルマンディー上陸作戦、バルジの戦いなどを伝えた。爆撃機への搭乗訓練を受けた1943年の写真も残っている。終戦後はドイツ高官を裁いたニュルンベルク裁判や各地の戦争裁判を取材し、冷戦が深まりつつあった1947年からは、スターリン指導下で西側諸国との対立を強めていたソビエト連邦の首都モスクワに特派員として駐在した。1950年にはのちに三大ネットワークの一つとなるCBSに入社してテレビジャーナリズムの草創期に加わり、1953年にはイギリスのエリザベス2世女王の戴冠式の中継も担当した。
1962年4月16日から1981年3月6日まで、CBSの看板番組『CBSイブニングニュース』の二代目アンカーマンを務めた。就任後にはそれまで視聴率首位だったNBCの『ハントリー・ブリンクリー・レポート』を追い抜き、「アメリカのテレビジャーナリズムの象徴」とも言われる存在になった。真摯な報道姿勢は国民の7割以上に支持され、「大統領よりも信頼できるニュースアンカー」とも呼ばれた。番組の締めくくりに言う「では、今日はこんなところです」は名ぜりふとして知られ、後任のダン・ラザーは別の言い回しを使った。1963年11月22日、テキサス州ダラスでジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された際には、速報番組の中で涙に声を詰まらせながら事件を伝え、その姿はアメリカ人の悲しみを象徴するものとして繰り返し引用されるようになった。当時のスタジオにはすぐ使える撮影用のカメラがなく、最初の速報は音声だけで流されたと伝えられる。1969年のアポロ計画による月面着陸の中継でも知られる。
ベトナム戦争については当初、客観的な立場で報道を続けていた。しかし1968年1月に南ベトナム解放民族戦線によるテト攻勢が起こった直後、南ベトナム各地を取材で訪れてからは、アメリカ軍にはこれ以上の攻勢でなく交渉こそが求められていると厳しい口調で語り、世論に大きな衝撃を与えた。これを知ったリンドン・B・ジョンソン大統領は、クロンカイトの支持を失えば中産階級の支持を失ったことになると嘆いたという。直後にジョンソンは再選を目指す大統領選への出馬を断念した。
1980年2月14日に降板を表明し、翌1981年3月6日にアンカーの座をラザーに譲ったが、その後もCBSやCNNの特派員、執筆活動を続け、ジャーナリスト養成の場で後進の指導にもあたった。1981年にジミー・カーター大統領から大統領自由勲章を授けられ、1995年には映画『アポロ13』に本人役で出演した。2006年3月には宇宙飛行士でない人物として初めて航空宇宙局の大使に選ばれた。2009年7月17日、ニューヨーク州の私邸で脳疾患により死去した。
同じ年に亡くなった人物
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- エクトル・ロセット (2009年没)
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