HISTORICAL PERSON · 2009年没

高林隆

日本の元サッカー選手でMF。立教大学の大学選手権優勝に貢献し、田辺製薬で3度の実業団選手権優勝を果たし、メルボルン五輪などにも出場した。

生涯
2009年没
死亡地
日本(埼玉県 / さいたま市)
出生地
日本(さいたま市)
出典
世界地図
日本(埼玉県)

伝記

高林隆は、1931年8月2日に埼玉県で生まれたサッカー選手で、出身地は現在のさいたま市とされる。ポジションはミッドフィールダーとされるが、フォワードともいわれる。埼玉県立春日部高等学校の時代に頭角を現し、3年次には全国高校選手権の埼玉県予選で優勝を果たした。

1950年に立教大学へ進むと、1年次から関東大学選抜に選ばれた。3年次の1953年には大学選手権での優勝に貢献し、同じ年に日本学生選抜の一員として西ドイツのドルトムントで開かれた国際大学スポーツ週間に出場した。この大会はユニバーシアードの前身とされ、選抜には長沼健や岡野俊一郎ら、のちに日本サッカーの中枢を担う人物が多数参加していた。4年次には日本代表にも選出されている。

日本代表としては、1953年11月29日にスウェーデンのユールゴーデンIFと明治神宮競技場で対戦した試合で初出場を果たした。国際Aマッチの初出場は、1954年3月14日に同じ明治神宮競技場で行われた韓国戦である。この試合は1954年のワールドカップ予選にあたり、当時は立教大学の学生として代表に選ばれていた。同年5月1日にはマニラでのインドネシア戦で初得点を挙げ、5月の第2回アジア競技大会では2得点を記録したとされる。代表での大会参加は、1954年のワールドカップ予選とアジア競技大会のほか、1956年のメルボルン五輪、1958年の第3回アジア競技大会に及ぶとされる。メルボルン五輪には代表に選ばれたが、出場しなかったともいわれる。国際Aマッチの通算は、6試合2得点とも、1954年から1958年にかけて9試合2得点ともいわれる。

大学を卒業した1954年に田辺製薬へ入社し、全日本実業団選手権で1954年、1955年、1957年の3度の優勝に貢献した。のちには大阪サッカークラブでもプレーしたとされる。

所属した組織は、春日部高校、立教大学、田辺製薬、大阪サッカークラブと続く。

2009年12月27日、さいたま市見沼区で心不全のため死去した。78歳であった。

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