伝記
レスター・ウィリアム・ポルスファス、通称レス・ポールは、1915年6月9日にウィスコンシン州ウォキショーで、ドイツ系のジョージとイヴリンの夫妻の間に生まれたアメリカのギタリスト、発明家である。幼いころに両親が離婚し、母は家の姓をポルファスと簡略にしたが、法的に名を変えることはなかった。のちにレス・ポールの芸名を名乗り、それ以前は「レッド・ホット・レッド」や「ルバーブ・レッド」の名を使った。8歳のとき音楽に関心を持ち、ハーモニカを吹き始め、ピアノを習ってからギターに転じた。ギターを弾きながら両手を使わずにハーモニカを吹くため、首にかけるハーモニカ・ホルダーを考案し、その設計図で今も製造が続いている。
13歳のころには、カントリー・ミュージックのセミプロのギタリストとして演奏していた。17歳でルーブ・トロンソンのテキサス・カウボーイズと活動し、まもなく高校を落第した。ミズーリ州セントルイスのラジオ局のバンドに加わり、1930年代初めにはサニー・ジョー&ルバーブレッドのコンビでシカゴを中心に人気を得たが、1933年に解散した。昼はルバーブ・レッドとしてラジオに出演し、夜は本名でジャズのグループに加わっていた。1936年にトリオを組んで初めてレコードを出した。1941年、エピフォンの工房を借りて、新しいエレキギター「ログ」を作った。4×4の角材の両端にボディ材を留め、ネックを角材に取り付けたもので、ソリッドボディのエレキギターの原型といえる。1946年にこの考えをギブソン社に持ち込んだが、相手にされなかった。このころ自宅に録音スタジオを建て、レコードのカッティングマシンを自作し、多重録音やアナログディレイの原型も生んだ。1948年、世界初のオーバーダビング録音による曲を出した。同年1月26日の交通事故で右腕を切断しかねない大怪我を負ったが、1年のリハビリで復帰した。
1949年12月にメリー・フォードと3度目の結婚をし、二人のテレビ番組は7年続いた。1951年、メリー・フォードとの二重唱「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」が全米1位となった。1952年、ギブソン初のソリッドギター「レスポール」が発売され、同年にはレス自身が開発した世界初の8トラックのテープレコーダーも売り出された。1953年の「ヴァヤ・コン・ディオス」は世界的にヒットし、9週連続で首位を保った。しかし、1950年代半ばからロックンロールが広がるにつれて人気を失い、1962年にはギブソン社との契約が切れた。メリー・フォードとも離婚した。1970年に友人の悪戯で鼓膜が破れて、治療に3年かかったが、1974年に現役に復帰した。1976年にチェット・アトキンスと作ったアルバムで、翌年のグラミー賞を受けた。1980年代半ばから1990年代まで、ニューヨークのクラブで毎週トリオを率いて演奏し、1995年からは亡くなる年まで、毎週月曜日にイリジウム・ジャズ・クラブでライヴを行った。ここには多くの有名ミュージシャンが飛び入りした。グラミー賞は5度受賞し、1988年にロックの殿堂入りを果たし、ミュージシャンでは唯一、発明家の殿堂にも入った。2009年8月12日、肺炎のためニューヨークの病院で94歳で死去した。
同じ年に亡くなった人物
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