伝記
エル・ハジ・オマール・ボンゴ・オンディンバは、1935年12月30日に当時のフランス領赤道アフリカのレワイで、12人きょうだいの末っ子として生まれたガボンの政治家であり、軍人である。レワイは現在、ボンゴヴィルと改称されている。本名はアルベール=ベルナール・ボンゴといい、少数民族バテケの出身だった。小学校と中等教育をブラザヴィルで終えて、郵便電信の公共事業に勤めたのち、フランス軍に入った。空軍の少尉、中尉としてブラザヴィル、バンギ、フォール・ラミーを順に務め、大尉で名誉除隊した。
1960年のガボン独立後に政界に入り、初代大統領レオン・ムバのもとで急速に昇進した。1961年の議会選挙では他の候補を応援し、自身は立候補しなかった。外務省に勤めたあと、1962年3月に大統領府の次長補、7か月後には次長となった。1964年にガボンで20世紀に起きた唯一のクーデター未遂が起き、ムバは誘拐され、ボンゴも軍の施設に拘束されたが、ムバは2日後に復権した。1965年9月に大統領代理として国防と調整を任され、情報観光相を務め、病が進むムバに1966年11月、副大統領に任命された。1967年3月の選挙で、ムバとともに再選された。ムバが長く病んでいる間、ボンゴはガボンの実権を握っていた。
1967年11月のムバの死から4日後の12月2日、32歳で第2代大統領に就任した。フランスのド・ゴールと有力者に擁立され、当時のアフリカで4番目に若い大統領だった。1968年3月にガボンは一党制の国と宣言され、ガボン民主ブロックはガボン民主党と改称された。1973年の総選挙では、ボンゴが唯一の大統領候補で、党の単一の候補者名簿とともに99.56パーセントの票を得た。同年9月にはキリスト教からイスラム教に改宗し、エル・ハジ・オマル・ボンゴに改名した。2003年に父の名を姓に付ける法律が発効すると、オマール・ボンゴ・オンディンバとなった。1975年4月に副大統領職を廃止し、元副大統領のレオン・メビアメを首相に任じた。
1990年まで一党体制を敷いたが、国際世論の圧力で複数政党制を導入した。1990年代初頭には統治への激しい反対にもかかわらず、野党の指導者の多くを自らの側に引き入れて、再び権力を固めた。1993年の大統領選挙は非常に物議を醸したが、再選され、1998年と2005年の選挙にも勝った。その政権は、旧宗主国のフランスから外交、財政、軍事の強い支援を受け、石油の産出で国民所得はアフリカ有数の水準に伸びた。一方で、縁故主義と権威主義で特徴づけられ、自分や家族、地元のエリートのために働いたと批判された。報道の自由も制限された。腐敗を監視する団体は、フランスでの資産購入にあたり公金を流用し、資金洗浄を行ったとして、2007年と2008年を含めて告発したが、パリの検察当局は証拠不十分で退けた。
2008年2月にフィデル・カストロが議長職を退いたことから、君主を除けば、世界で最も長く政権を維持する人物となった。三番目の夫人エディット=リュシーは、コンゴ共和国のサスヌゲソ大統領の娘である。2009年6月8日、外遊先のスペインで死去し、40年以上の政権の幕を閉じた。息子のアリー・ボンゴ・オンディンバが跡を継いだが、世襲には批判が相次ぎ、2023年のクーデターで権力を失った。
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