HISTORICAL PERSON · 2011年没

アニー・ジラルド

フランス出身の女優。コメディ・フランセーズの舞台に立ち、1960年のヴィスコンティ監督『若者のすべて』でイメージを変え、共演したサルヴァトーリと結婚した。

生涯
2011年没
死亡地
フランス共和国(パリ / 10区)
出生地
フランス共和国(10区)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

アニー・ジラルドは、1931年10月25日にパリで生まれたフランスの女優である。母は助産師で、父は既婚のアルザスの名家の男性とされるが、娘を認知せず1933年に世を去ったため、顔を合わせる機会はなかった。里親のもとで育てられた後、母が働くカルヴァドス県のベヌヴィル城の産院で母と暮らし、1943年からはカーン郊外で母や兄と暮らした。1944年のカーンの戦いでは爆撃を経験している。戦後は母と同じ助産師を目指して看護の勉強を考えたが、やがて演劇の道を選んだ。

1949年からパリのコンセルヴァトワールに通い、夜にはモンマルトルのキャバレーなどで、アニー・ジラールの名で舞台に立った。ジャン・ポワレやミシェル・セローらも出た喜劇の舞台に加わることもあった。コンセルヴァトワールを2つの一等賞で出たのち、ジャン・コクトーに見いだされ、1956年にコメディ・フランセーズで上演された『タイプライター』の主役を演じた。この舞台はテレビで初めて生放送されている。劇団は準座員の話を断って辞めたとされるが、1957年まで劇団に残ったともいわれる。

映画では1955年にデビューし、ジャン・ギャバンの相手役として犯罪映画に出た。1956年には『黄金の鍵の男』での演技でシュザンヌ・ビアンケッティ賞を受けた。暗黒街の悪女を演じることが多かったが、ルキノ・ヴィスコンティ監督が舞台『シーソーの二人』に起用し、その才能に感心して1960年の『若者のすべて』に配役した。この作品で一躍スターとなり、共演のレナート・サルヴァトーリと恋に落ちて2年後に結婚、娘ジュリアをもうけた。夫婦はサルヴァトーリが亡くなるまで連れ添ったという。友人のアラン・ドロンを通じて、ロミー・シュナイダーとも親交を結んだ。

1960年代には、ロジェ・ヴァディム、ジェラール・ウーリー、マルセル・カルネらの作品に出演した。カルネの『マンハッタンの哀愁』は、ロバート・デ・ニーロがデビューした作品でもあり、ジラルドはこの作品で1965年のヴェネツィア国際映画祭の女優賞を得た。フランスとイタリアを往復して、イタリア映画にも数多く出演した。マルコ・フェレーリ監督の作品で見世物小屋の女を演じた映画は、1964年のカンヌ国際映画祭で物議をかもした。マリオ・モニチェッリ監督の作品ではマルチェロ・マストロヤンニと共演し、タヴィアーニ兄弟の映画にも出ている。しかし、1965年の舞台『転落の後』は失敗に終わり、仕事に恵まれない時期が続いた。女優をやめることも考えたが、クロード・ルルーシュが『パリのめぐり逢い』の出演を申し出た。作品は成功し、観客は彼女の新たな一面を知った。撮影中に2人は恋に落ち、関係は2年後に終わった。1968年の喜劇『エロティッシモ』でもふたたび成功を収めた。

1977年には『フランソワーズ・ガイヤン医師』でセザール賞の主演女優賞を受け、『レ・ミゼラブル』と『ピアニスト』では助演女優賞を受けた。フランスの興行で、最も多くの観客を集めた女優とされる。晩年はアルツハイマー病を患い、2011年2月28日にパリの病院で79歳で世を去った。

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