伝記
ジョー・フレージャーは、1944年1月12日にアメリカ合衆国サウスカロライナ州ビューフォートで生まれたプロボクサーである。ヘビー級としては小柄だったが、「スモーキン・ジョー」の名のとおり機関車のような突進力とスタミナを備え、上体をリズミカルに揺らして相手の攻撃をかわしながら、低く構えた姿勢から放つ左フックを得意とした。アマチュア時代は1962年から3年連続でゴールデングローブのヘビー級を制した。1964年には負傷した選手の代役として東京オリンピックのヘビー級に出場し、決勝で当時東西統一チームだったドイツの選手を3対2の判定で破って金メダルを獲得している。1964年から翌年ごろに練習中の事故で左目の視力をほとんど失い、右からのパンチが見えていなかったともいう。
1965年8月16日にプロデビューし、1967年には専門誌リングマガジンの年間最優秀選手に選ばれた。1968年3月、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでアマチュア時代から因縁のある相手とニューヨーク州公認の王座決定戦を行い、11回KOで王座に就いた。1970年2月にはWBA世界王者ジミー・エリスに挑み、4回にキャリア初のダウンを奪ってTKO勝ちし、空位だったWBC王座も得て統一王者となった。
1971年3月8日、同じ会場で元統一王者モハメド・アリと対戦した。31戦無敗のアリと26戦無敗のフレージャーの顔合わせは「世紀の一戦」と宣伝され、試合前にはアリがフレージャーを罵り、フレージャーが旧名のカシアス・クレイと呼んで応じる舌戦もあった。試合では、体を揺らしながら圧力をかけ続けたフレージャーが左フックでアリをたびたびぐらつかせ、15回には左フックでダウンを奪って3対0の判定で勝ち、アリにプロ初の黒星をつけた。しかし1973年1月、ジャマイカのキングストンでジョージ・フォアマンと戦い、1回と2回に3度ずつダウンして2回TKO負けで王座を失った。この一方的な内容は「キングストンの惨劇」と呼ばれた。1974年1月にアリと3年ぶりの再戦に臨んだが、12回の判定で敗れた。
1975年10月1日にはフィリピンのアラネタ・コロシアムで、アリとの3度目の対戦「スリラー・イン・マニラ」に臨んだ。形勢が何度も入れ替わる死闘となり、14回終了時にトレーナーのエディ・ファッチが試合の中止を求めてTKO負けとなった。アリも体力の消耗が著しく、敗北を覚悟したとも伝わる。アリは後にこの試合を人生で最も死に近い瞬間だったと語った。3度の対戦はアリの2勝1敗に終わった。1981年、37歳で引退し、通算成績は32勝4敗1分で、プロで敗れた相手はアリとフォアマンだけだった。
引退後は歌手としても活動し、1970年代後半にはソウル・ファンクのグループを率いて各国でツアーを行った。1978年にはリング上で国歌を独唱している。映画『ロッキー』の冷凍肉を殴る場面や美術館の階段を駆け上がる場面は、フレージャーの実際のトレーニングが元になったとされる。2011年9月下旬に肝臓癌と診断され、約2か月のホスピスケアを経て11月7日に67歳で死去した。アリは「世界は偉大なチャンピオンを失いました」と追悼の声明を出し、11月14日にフィラデルフィアで営まれた葬儀には、アリのほかラリー・ホームズらが参列した。
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