HISTORICAL PERSON · 2012年没

ジョン・アッタ・ミルズ

ガーナの政治家。2009年から死去する2012年まで大統領を務め、それ以前は1997年から2001年に副大統領を務めた。

生涯
2012年没
死亡地
ガーナ共和国(グレーター・アクラ州 / アクラ)
出生地
ガーナ共和国(タークワ)
出典
世界地図
ガーナ共和国(グレーター・アクラ州)

伝記

ジョン・イヴァン・アッタ・ミルズ(正式な名はジョン・エヴァンズ・フィーフィ・アッタ・ミルズ)は、1944年7月21日にガーナ西部地方のタクワで生まれた政治家であり、法学者でもある。父ジョン・アッタ・ミルズは教育者でコメンダ教員養成学校で教え、母はマーシー・ドーソン・アモアである。7人きょうだいの第2子で長男にあたり、ファンティ人の出身で、故郷は中部地方のエクムフィ・オトゥアムの町とされる。コメンダなどの学校を経て、名門アチモタ校で学び、1961年と1963年に普通級・上級の修了証を取った。ガーナ大学レゴン校では法学士の学位と法律家の資格を1967年に得て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで1968年に法学修士号を取り、さらにロンドン大学東洋アフリカ研究学院で課税と経済発展を論じて、1971年、27歳で法学博士号を取得した。

同じ1971年にフルブライト奨学生としてスタンフォード大学ロースクールに留学し、帰国後は母校のガーナ大学法学部で講師を務めた。教壇には約25年間立ち、アメリカのテンプル大学では1978年から1979年と1986年から1987年に客員教授を、オランダのライデン大学では1985年から1986年に客員講師を務めた。1970年代から80年代には、課税をめぐる論文を数多く書き、生涯の著作は12冊以上にのぼる。研究の関心は税法に限らず、ガーナの新しい投資法典の評価、家族の変化と国家の役割、地域の漁業国としてのガーナの衰退など、幅広い題材に及んだ。学外では、ジェリー・ローリングス大統領のもとで1988年から1993年まで内国歳入庁の長官代行を、1993年から1996年まで長官を務めた。1992年にはガーナ大学の法学の准教授になっている。2002年には、カナダ国際開発庁と国際開発研究センターの共同の研究員制度により、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学リュー国際問題研究所の客員研究員も務めた。

政界では、1996年に国民大会党が国民民主会議との提携を解消して副大統領の座が空くと、ローリングスの再選をめざす選挙で副大統領候補に選ばれ、1997年から2001年までローリングス政権の副大統領を務め、警察評議会の議長や経済運営チームの議長も兼ねた。ローリングスが憲法上の任期を終えた2000年の大統領選では、国民民主会議の候補となった。選挙戦では、当選すれば毎日ローリングスに相談すると発言したことを強く批判された。12月7日の第1回投票では44.8%の票を得たが、48.4%のクフォーが首位となり、28日の決選投票で56.9%の票を得たクフォーに敗れた。2002年12月に党の旗手に選ばれて挑んだ2004年の選挙でも、現職のクフォーに敗れている。2006年12月21日には、81.4%(1,362票)を得て、2008年の大統領選の党候補となった。

2008年12月の決選投票で、与党の候補を僅差で破って当選し、2009年1月、第四共和政の第3代大統領に就任した。2010年9月には日本を訪れている。その任期の途中、2012年7月24日、アクラの病院で死去した。かねて咽頭がんを患っていたとされる。ガーナで在任中に亡くなった国家元首は、彼が最初で、これまでのところ唯一だという。

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