HISTORICAL PERSON · 2012年没

ハリイ・ハリスン

アメリカ合衆国のSF作家。《ステンレス・スチール・ラット》シリーズや、映画『ソイレント・グリーン』の原作『人間がいっぱい』で知られる。エスペラント語の愛好家でもあった。

生涯
2012年没
死亡地
イギリス連邦(イースト・サセックス / ブライトン)
出生地
アメリカ合衆国(スタンフォード)
出典
世界地図
イギリス連邦(イースト・サセックス)

伝記

ハリイ・ハリスンは、1925年3月12日、コネチカット州スタンフォードのロシア系ユダヤ人の家庭に、ヘンリー・マクスウェル・デンプシーとして生まれたアメリカのSF作家である。30歳のときに法律上の名をハリー・マックス・ハリスンに改めた。7歳のころからSFのファンだった。1943年に徴兵され、第二次世界大戦中は空軍で整備兵や砲術教官としてイタリアで勤務した。復員後はニューヨークのハンター・カレッジに入って水彩画を学んだ。編集者になる前に、まずイラストレーターとしてSF界に関わり、ECコミックの2つのSFコミック誌で絵を描いた。雑誌の編集ではハウスネームも使った。1948年にSF関係者の集まりであるヒドラ・クラブが設立されると会長になったが、権力争いに敗れ、数年で除名された。

初めはギャラクシイ誌に絵を寄せていたが、喉の病気で絵が描けなくなったことから、小説を書き始めた。ほかの名前でも小説を書き、ミステリ作家レスリー・チャータリスの代筆もした。SFは風刺が効いたユーモラスなものが多く、《ステンレス・スチール・ラット》シリーズや、ハインラインの『宇宙の戦士』を風刺した『宇宙兵ブルース』が好例とされる。1950年代から1960年代にかけて、新聞連載漫画「フラッシュ・ゴードン」のメインの脚本家として活動した。科学的な正確さを保つため、大まかなスケッチを絵描きに渡していたが、絵描き側が無視することが多かったという。1954年にニューヨークで結婚した。1960年には、アナログ誌に連載した最初の長編『死の世界』が、その年のヒューゴー賞の候補となり、気鋭の新人として一躍注目を浴びた。

評論の面では、前衛的なニュー・ウェーブ系の作品を支持したが、自身が書く小説は、シニカルな冒険SFかユーモアSFであった。人口爆発と資源の枯渇を扱った『人間がいっぱい』(1966年)は、映画「ソイレント・グリーン」(1973年)の元になったことで有名だが、設定だけが共通で、テーマや筋は全く異なる。この作品は、自身の二人の子供たちに捧げられた。1964年には親友ブライアン・オールディスと組み、自費出版の評論誌『SFホライズン』を起こして、旧態にとらわれたSFを批判した。二人でアンソロジーの編集も精力的に行い、オールディスとともにバーミンガムSFグループの共同の社長も務めた。1967年12月から1968年9月まで、『アメージング・ストーリーズ』誌の編集長を務めた。アメリカを出てメキシコ、イングランド、デンマーク、イタリアなどに暮らしたのち、アイルランドに落ち着いた。1973年には、レオン・ストーヴァーとともに、国籍を問わず最優秀SF長編に与えるジョン・W・キャンベル記念賞を創設した。1990年には第48回ワールドコンのゲスト・オブ・オナーに招かれた。

エスペラント語の愛好家で、小説にもしばしば登場させ、アイルランド・エスペラント協会の名誉会長を務めたこともある。翻訳家の浅倉久志は、翻訳した作家で一番好きなのはハリスンだと語った。2002年に妻が癌で亡くなった。晩年まで世界SF会議の組織者の一人として活躍するかたわら、精力的に小説を書き続けた。2009年にアメリカSFファンタジー作家協会から、デーモン・ナイト記念グランド・マスター賞を贈られた。2012年8月15日に亡くなった。

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