伝記
ポール・ウォーカーは1973年9月12日、アメリカのカリフォルニア州グレンデールに生まれ、ロサンゼルスのサン・フェルナンド・バレーで育った俳優である。父のポール・ウィリアム・ウォーカー3世はアマチュアボクサーで、ゴールデン・グローブを2度獲得するほどの腕前だったが、家族を養うために下水道工事の下請けを営んだ。父方の祖父も、「アイリッシュ」ビリー・ウォーカーの名で知られるボクサーだった。母はファッションモデルとして働いており、その影響で2歳のころから赤ちゃんモデルとなり、いくつかのコマーシャルに出演した。1980年代前半には子役としてB級映画やテレビドラマに出ている。
高校に進むといったん芸能界を離れ、数年はごく普通の高校生活を送ったが、子役時代からのエージェントに声をかけられ、アルバイトのような感覚で俳優の活動を再開した。高校卒業後はいくつかのコミュニティ・カレッジで海洋生物学を学び、仕事が途切れずに入るため、復学と休学を繰り返した。海洋生物学は生涯の関心で、探検家ジャック・クストーを敬愛し、2006年にはカジキ類の保護にかかわるビルフィッシュ財団の理事に加わり、2010年にはナショナルジオグラフィックの番組で、ホホジロザメを追う探検の主役を務めて長年の夢をかなえた。
1990年代後半から映画に起用されるようになり、容姿のためにティーン映画への出演が多かった。1999年の『バーシティ・ブルース』と『シーズ・オール・ザット』のころから、十代の観客に注目された。2001年にはヴィン・ディーゼルと共演したカーアクション映画『ワイルド・スピード』が大ヒットして世界的に知られ、第3作を除く続編にも出演した。2003年夏には『ワイルド・スピードX2』のプレミア上映のために東京国際フォーラムで初来日し、舞台挨拶でシリーズ三作目を日本で作りたいと語った。実際に第3作は日本を舞台とした作品になった。2006年と2009年にも日本を訪れている。
大の車好きで、作品に登場したトヨタ・スープラや日産・スカイラインGT-Rを実生活でも所有し、2011年にはGT-Rを運転するために神奈川県横須賀市を訪れた。ブラジリアン柔術やサーフィンも楽しんだ。慈善活動にも熱心で、災害の被災地を支援する団体を設け、2010年にはチリ地震の被災地に赴き、ハイチの地震でも救援のため現地に入った。元の恋人との間に1998年生まれの娘メドウがおり、結婚はしていなかったが、2011年からは娘と暮らしていた。
2013年11月30日、フィリピンの台風被災者のための資金を募る慈善イベントに出席したあと、友人でレーシングドライバーのロジャー・ロダスが運転する赤いポルシェの助手席に乗って帰路についた。午後3時30分ごろ、サンタクラリタで車はコンクリート製の街灯や街路樹に衝突して炎上し、二人は現場で死亡が確認された。40歳だった。現場は制限速度が時速45マイルだったが、運転手は80マイルから95マイルほどの速度を出していたことが分析で判明している。遺作となった『ワイルド・スピード』第7作は撮影中の死去のため、一部の場面でCGと弟のケイレブ、コディによる代役が使われ、エンドクレジットには彼に捧げる一文が添えられた。
同じ年に亡くなった人物
- ハロルド・アグニュー (2013年没)
- ヤーノシュ・シュタルケル (2013年没)
- マルツェル・ライヒ=ラニツキ (2013年没)
- エドゥアルド・ファルー (2013年没)
- Joe Conley (2013年没)
同じ地域に関係する人物
- ジーン・ハーロウ (1937年没)
- テックス・アヴェリー (1980年没)
- J・E・フリーマン (2014年没)
- シャド・ガスパード (2020年没)
- マーラ・パワーズ (2007年没)