伝記
ジェローム・カールは、本名をジェローム・カーファンクルといい、1918年6月18日にニューヨーク市で、サディ・ヘレン(旧姓クン)とルイス・カーファンクルの子として生まれたアメリカ合衆国の物理化学者である。芸術への関心が強いユダヤ系の家庭に育ち、若いころはピアノを弾いてコンクールにも出たが、本人が最も関心を持っていたのは科学であった。ブルックリンのアブラハム・リンカーン高校に通い、同校からはのちにアーサー・コーンバーグやポール・バーグも、ノーベル賞を受けている。少年期にはハンドボールやアイススケート、タッチフットボールを楽しみ、近くの大西洋で泳いだという。
15歳で大学に入り、1937年にニューヨーク市立大学シティカレッジで学士号を得た。必修のほかに生物学、化学、数学の科目も追加で履修している。1938年にはハーバード大学で生物学を専攻して修士号を取った。さらに大学院に進むための資金をためようと、ニューヨーク州のオールバニーで州の保健局に勤め、溶け込んだフッ素の濃度を測る方法を開発した。この技術は、水道水のフッ素添加で標準的な手法になったという。1940年にミシガン大学に入り、物理化学の最初の講義で隣の席に座っていたイザベラ・ルゴスキーと出会って、1942年に結婚した。二人は物理化学者のローレンス・ブロックウェイの指導で博士課程の研究を行い、カールは1943年に課程を終えたが、博士号の授与は翌1944年であった。
1943年に大学院を修了すると、妻のイザベラ・カール博士とともにシカゴ大学でマンハッタン計画に加わった。イザベラは計画に参加した科学者の中で最も若い一人で、数少ない女性の一人でもあった。1944年にミシガン大学に戻って米海軍研究所の計画に取り組み、1946年にはワシントンの海軍研究所で働くため移住した。
1985年には、X線散乱の手法を使って結晶の構造を直接解析した業績により、ハーバート・ハウプトマンとともにノーベル化学賞を受賞した。二人はサイヤの式を対称中心のある構造に利用し、「直接法」と呼ばれる手法を築いた。結晶中の原子の位置を突き止めれば物質の分子構造が決まり、その分子を再現する過程を設計できる。この技術は、新しい医薬品や合成物質の開発に大きな役割を果たしている。アメリカ結晶学会の会長(1972年)や国際結晶学連合の会長(1981年から1984年)を務め、1976年に米国科学アカデミーの会員となり、1986年にはアメリカ功績アカデミーの黄金の皿賞、1990年にはアメリカ哲学協会の会員にも選ばれた。
2009年7月31日、カールは妻とともに海軍研究所を退職した。勤続は夫妻あわせて127年にのぼり、カールは1944年、イザベラは2年後に着任していた。退職時は物質構造研究室の主任科学者を務めていた。退職の式典には海軍長官が出席し、夫妻に海軍の民間職員への最高の表彰である海軍民間功労賞が贈られた。夫妻には三人の娘がおり、全員が科学の分野で働いている。長女ルイーズは理論化学者、次女ジーンは有機化学者、三女マドレーヌは地質学を専門とする博物館の専門職である。2013年6月6日、肝臓癌のため、バージニア州アナンデールの医療施設で亡くなった。
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