伝記
ニトクリス2世(ニトクリスB)は、古代エジプト第26王朝の王女であり、アモン神に仕えた女性神官である。名はエジプト語でニトイクレトと表記され、ファラオのアマシス2世(イアフメス2世)の娘として知られる。
彼女の存在を主に伝えるのは、シカゴ大学オリエンタル・インスティテュートが所蔵する、座ったアモン・ラー神の青銅小像に刻まれた銘文である。そこでは彼女が「アモンの大司祭」と呼ばれており、同じ像の銘文は、アモンの神妻アンクネスネフェリブラーを彼女の「母」とも記している。アンクネスネフェリブラーは彼女を養女に迎えた人物とされる。
この「母」という呼び方から、彼女がアモンの神の崇拝者という役職にも就いていたと考えられている。この役職は通常、養母の死後に「アモンの神妻」の地位へ進む道筋にあたった。別の記述では、紀元前570年代ごろからこの神の崇拝者の任にあったとされ、紀元前560年にアンクネスネフェリブラーが亡くなると、新たな神妻・大司祭になったと伝える。ただし、神妻の地位には実際には届かなかったとする見方もあり、この点は一致していない。
大司祭の称号は注目に値する。彼女は、かつて大きな影響力を持ったテーベのアモン大司祭職について、記録が確認できる最後の人物であり、確認できる女性の就任者としては二人のうちの一人だからである。就任の時期は紀元前560年ごろとされる。神の崇拝者としての在任は紀元前560年から525年ともされ、大司祭職も十年ほど務めたという。礼拝堂はカルナクの神域の北側に建てられた。
アマシス2世の治世に続いてプサメティコス3世の時代にも、これらの職にあったとされる。ペルシア王カンビュセス2世によるエジプト侵攻に際しては、プサメティコス3世とともに防衛を助けた可能性が指摘されている。紀元前525年にエジプトが征服されると、彼女は地位を失い、おそらく命も落としたとされるが、確かなことは分からない。その後、アモンの大司祭と神妻の役職は廃止され、彼女は最後の保持者となった。