伝記
マゴン一世(マゴ、マゴ一世)は、古代カルタゴの王で、紀元前550年から前530年まで在位したとされる人物である。もとは将軍であり、のちにカルタゴのマゴン家(マゴン朝)の創始者となった。生年は伝わらず、没年も資料上は紀元前600年と記されているが、在位の年代と合わないため確かなことはいえない。その治世に、カルタゴは西地中海のフェニキア人植民市の中で抜きん出た存在になったと伝えられる。
マゴンのもとで、カルタゴは西地中海における主要なフェニキア系の軍事勢力として地位を固めた。経済の面では母市ティルスになお依存していたものの、行動はしだいに独立したものになっていったという。政治上の成果のひとつとされるのが、ギリシア人に対抗するためのエトルリア人との同盟である。この同盟は、ローマがエトルリア人の王たちを追放した頃まで続いた。マゴンはシチリアでも活動したとされ、シラクサ出身の女性を妻に迎えたともいわれる。
紀元前546年、ペルシアの侵攻を逃れたフォカイア人がコルシカ島にアラリアを築いた。島にはそれ以前の前562年からギリシア人が住み着いており、新たな入植者たちはエトルリア人とカルタゴ人の通商を襲うようになった。前540年から前535年にかけて、カルタゴとエトルリアの同盟軍はアラリアの海戦ののちにギリシア人をコルシカから追い出した。コルシカはエトルリア人が掌握し、カルタゴはサルデーニャ島に力を注いで、そこにギリシア人の拠点が築かれないようにした。この敗北により、ギリシア人の西方への拡大は止まったとされる。
そのあとにはギリシア系のマッサリア(現在のマルセイユ)との戦争が続いた。カルタゴは戦闘では敗れることもあったが、イベリア半島のフェニキア人植民地を守り、ジブラルタル海峡をギリシア船に対して閉ざすことに成功した。マッサリア人はナオ岬より北の東部イベリアの植民地を保ったものの、南部イベリアはギリシア人に対して閉ざされた。また、フェニキア人の植民市ガデスを支援したカルタゴは、武力によってか、ギリシアとの交易を断つことによってか、前530年までにタルテッソスを崩壊させたとされる。このとき、カルタゴはガデスを包囲して支配下に置いたともいわれる。
その頃、ペルシアはすでにキレネを手中にしていた。前525年、ペルシア王カンビュセスがアフリカ遠征のためにフェニキア人へ船の提供を求めたが、フェニキア人はこれを拒んだ。そのためカルタゴはペルシア帝国との武力衝突を免れたのかもしれない。カルタゴがペルシア大王に不定期に貢納していた可能性も指摘される。前524年のクマエの戦いにカルタゴが関与したかどうかは分かっておらず、この戦いのあとイタリアでエトルリア人の勢力は衰え始めた。マゴンの治世は前530年に終わったとされ、これ以後の詳しい動静は伝わっていない。
同じ年に亡くなった人物
- Eupalinos (紀元前600)
- ヒッポナクス (紀元前600)
- ヘルミオネのラスス (紀元前600)
- アッシュル・ウバリト2世 (紀元前600年代没)
- ハバクク (紀元前600)
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