伝記
ロバート・コールマン・リチャードソンは、1937年6月26日にワシントンD.C.で生まれたアメリカの実験物理学者である。母ロイス・プライス・リチャードソンは、結婚する前に自身も修士号を得た人で、父ロバート・フランクリン・リチャードソンは電話の技術者であった。高校はバージニア州アーリントンのワシントン・リー高校に通った。のちにノーベル賞の自伝のなかで、同校の生物学や物理学の授業は当時としても「とても古めかしい」ものだったと振り返り、「先取り履修という考え方はまだ生まれていなかった」と記している。微積分を初めて学んだのは、大学の2年生のときだった。
バージニア工科大学に進み、1958年に学士号、1960年に修士号を得た。博士号はデューク大学で取得している。取得年は1965年とも1966年ともされる。1962年9月29日には、デューク大学で同じく物理学の博士課程にいたベティ・マリリン・マッカーシーとノースカロライナ州ダーラムのカトリック教会で結婚し、ジェニファーとパメラの二人の娘をもうけた。のちに孫は4人になった。
研究では、極低温での物理現象に焦点を当て、核磁気共鳴の手法を使って、きわめて低い温度での液体や固体の量子的な性質を調べた。研究対象には、1ミリケルビンを下回る温度でのヘリウム3の挙動も含まれていた。1972年、コーネル大学の原子・固体物理学研究所で、シニア研究者であったリチャードソンとデビッド・リーが、当時大学院生だったダグラス・D・オシェロフとともに、ヘリウム3の超流動を発見した。この業績により、三人は1996年のノーベル物理学賞を共同で受けた。これに先立って1976年にサイモン記念賞、1981年にオリバー・E・バックリー凝縮系賞を受けている。1997年にはアメリカ功績アカデミーのゴールデン・プレート賞を、2001年にはアメリカ哲学協会の会員に選ばれた。
コーネル大学では長く教授を務め、1998年から2007年まで研究担当の副学長を、2007年から2009年まで学長と副学長への上級科学顧問を務めた。亡くなった当時は同大学のフロイド・ニューマン記念物理学教授で、すでに自分の研究室は運営していなかった。少年期にはボーイスカウトの最高位であるイーグルスカウトとなり、ノーベル財団に提出した略歴にも、若いころのスカウト活動に触れている。イーグルスカウト出身のノーベル賞受賞者は、リチャードソンのほか、物理学賞のフレデリック・ライネス、化学賞のピーター・アグレとダドリー・ハーシュバックの4人が知られる。2013年2月19日に亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ウィルフリート・マルテンス (2013年没)
- トゥンジェル・クルティズ (2013年没)
- Lidiya Vertinskaya (2013年没)
- アルマンド・トロヴァヨーリ (2013年没)
- 上野石之助 (2013年没)
同じ地域に関係する人物
- アーヴィング・バクスター (1957年没)
- コーネリアス・ヴァンダービルト (1877年没)
- ジャニス・ルール (2003年没)
- オードリー・マンソン (1996年没)
- フリッツ・ライナー (1963年没)