伝記
ロビン・マクローリン・ウィリアムズは、1951年7月21日にイリノイ州シカゴで生まれたアメリカ合衆国の俳優・コメディアンである。生年を1952年とする資料もあるが、本人は2007年のインタビューで「55歳」と述べ、1951年生まれと明言している。父ロバート・フィッツジェラルドはフォード・モーターの上級役員で、母ローリー・マクローリンはミシシッピ州ジャクソンでモデルをしていた。母はクリスチャン・サイエンスの信者だったが、本人は父方の信仰である米国聖公会に従って育てられた。自分のユーモアに最初に大きな影響を与えたのは母で、気を惹くために母を笑わせようとしていたと語っている。
イリノイ州レイクフォレストの公立校に通い、高校で演劇部に入るまでは、内気な性格を乗り越えられない静かな子どもだったと自ら振り返る。1963年に父がデトロイトへ転勤したため、ミシガン州ブルームフィールドヒルズに移り、40部屋もある農家風の屋敷に住んだ。学業は優秀で、レスリング部に入り、級長にも選ばれた。16歳で父が早期退職したため、一家はカリフォルニア州ティブロンへ移った。1969年の卒業時には、同級生の投票で「1番成功しそうにない人」と「1番面白い人」の両方に選ばれたという。
クレアモント・マッケナ大学で政治学を専攻したが、演技の道を追って中退し、コミュニティ・カレッジで演劇を3年学んだ。教授のジェイムズ・ダンは、『オリバー!』のフェイギン役でその素質がすぐ明らかになったと回顧している。芝居中に即興を繰り出し、共演者が笑いをこらえられなくなることも多かった。1973年にはニューヨークのジュリアード音楽院の全額支給奨学金を得た。ジョン・ハウスマンが教える上級課程に合格したのは、クリストファー・リーヴと二人だけで、二人はリーヴが2004年に亡くなるまで親友であり続けた。1976年、ハウスマンの勧めでジュリアードを去ったが、これは教えるものはもうないという判断によるものだった。
同年からサンフランシスコ周辺でスタンダップコメディを始め、のちにロサンゼルスへ移った。1977年にテレビプロデューサーから、番組『ラフ・イン』のリバイバルへの出演を持ちかけられたのが、テレビデビューとなった。後年デイヴィッド・レターマンは、初めて公演を見たときのウィリアムズを「ハリケーンのように現れた」と評している。1978年にテレビシリーズ『ハッピーデイズ』で異星人のモークを演じ、人気を得た。最初の主演映画は1980年の『ポパイ』で、のちに『ガープの世界』『レナードの朝』『フィッシャー・キング』『ミセス・ダウト』『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』などに出演し、『アラジン』ではジーニーの声を演じた。アカデミー賞1回、エミー賞2回、ゴールデングローブ賞6回、グラミー賞5回などを受けている。
キャリアを通じて薬物乱用とうつ病に苦しんだ。2014年8月11日、自宅で死亡しているのが見つかり、状況から自殺と判断された。妻のスーザン・シュナイダーは、パーキンソン病の診断を受け、うつ症状や不安障害などを経験していたと発表した。剖検では「びまん性レビー小体病」が指摘され、その症状で説明できるとする専門家の意見もある。
同じ年に亡くなった人物
- ゲオルギー・アデルソン・ヴェルスキー (2014年没)
- Gladys Asmah (2014年没)
- エドワード・ハーマン (2014年没)
- リチャード・アッテンボロー (2014年没)
- Wallace Jones (2014年没)
同じ地域に関係する人物
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- ドロシー・ラムーア (1996年没)
- ヴィクター・ブオノ (1982年没)
- カルロス・ルイス・サフォン (2020年没)
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