HISTORICAL PERSON · 2014年没

イーライ・ウォラック

アメリカの俳優。舞台でトニー賞を受け、『荒野の七人』や『続・夕陽のガンマン』などの西部劇で悪役を演じた。2010年にアカデミー名誉賞を受賞した。

生涯
2014年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / マンハッタン区)
出生地
アメリカ合衆国(レッドフック港)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

イーライ・ハーシェル・ウォラックは、1915年12月7日にニューヨーク市ブルックリンのレッドフックで生まれたアメリカ合衆国の俳優である。両親はポーランドのプシェミシルから渡ってきたユダヤ系移民のエイブラハムとバーサで、キャンディ・ストアを営んでいた。兄弟一人と姉妹二人がいた。周囲はイタリア系住民が多く、ユダヤ系の一家はごく少数だった。1936年にテキサス大学を歴史学の学位で卒業し、テキサスで馬の乗り方を覚えたという。その地を気に入った理由を、友情という言葉に目を開かせてくれた場所で、約束を口にすれば信頼できたと語っている。二年後にはニューヨーク市立大学シティカレッジで教育学の修士号を得た。高学歴にもかかわらず俳優を志し、ネイバーフッド・プレイハウスでサンフォード・マイズナーのもとで演技を学んだ。

1940年に陸軍へ徴兵され、ハワイの軍病院で軍曹・衛生兵を務めたのち、テキサス州アビリーンの士官候補生学校で医療管理将校の訓練を受けた。少尉に任官してカサブランカへ送られ、のちフランス勤務中には、上官に俳優としての経歴を知られ、患者のための演し物を頼まれた。部隊の仲間と『これが陸軍か』という芝居を書き、枢軸国の独裁者たちをからかう喜劇で、自らはヒトラーを演じた。1945年の終戦後、大尉として除隊した。

舞台ではニュー・スクールの演劇ワークショップでドイツ人演出家エルヴィン・ピスカトールに学び、リー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオの創設メンバーにもなった。そこでマーロン・ブランド、モンゴメリー・クリフト、のちに妻となるアン・ジャクソンらと同門となった。マリリン・モンローがスタジオに入ったとき、最初に友人になったのも彼で、彼女はウォラック夫妻の家を訪ね、子守りをすることもあったという。1945年にブロードウェイの舞台に立ち、1951年にはテネシー・ウィリアムズの『バラの刺青』でモーリーン・ステイプルトンと共演してトニー賞を受けた。妻アン・ジャクソンとはしばしば舞台で共演し、アメリカ演劇界を代表する俳優夫婦となった。『ミスター・ロバーツ』や『八月十五夜の茶屋』にも出演し、1946年には女優キャサリン・コーネルの制作による『アントニーとクレオパトラ』の巡業にも加わった。1958年にはイヨネスコの『椅子』などをアメリカに紹介し、1961年の『犀』ではゼロ・モステルの相手を務めた。

1956年にエリア・カザンの『ベビイドール』で映画デビューし、英国アカデミー賞の新人賞を受けて、ゴールデングローブ賞にもノミネートされた。『荒野の七人』のカルヴェラ、『荒馬と女』のギド、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』のトゥコなど、西部劇などで悪役を演じ、性格俳優、名脇役として評価された。『ゴッドファーザー3』のドン・アルトベッロや『ウォール・ストリート』にも出て、映画の出演は90本を超え、晩年まで現役だった。1967年にはエミー賞の助演男優賞を受賞し、2005年には自伝を出版した。1988年にアメリカ演劇殿堂入りし、2010年にアカデミー名誉賞を受けた。2014年6月24日、98歳で死去した。

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