伝記
アレクサンドル・グロタンディークは、1928年3月28日に生まれたフランスで活動したユダヤ系の数学者である。実父はウクライナ出身のアナキスト、母はハンブルク出身のジャーナリストで、出生時は母の結婚相手の子として「アレクサンダー・ラダッツ」と名付けられた。二人は1929年に離婚し、実父はグロタンディークを認知したが、母とは結婚しなかった。ベルリンで過ごしたのち、ナチスを避けて父がフランスに渡ったのに続いて、母とともにパリへ移った。ナチスのフランス占領で拘留され、母とフランスの収容所に送られたが脱走し、母はギュルスの収容所で終戦を迎え、グロタンディークは南仏のオート=ロワール県で潜伏生活を送った。父も戦時中にアウシュヴィッツ強制収容所に収容された。シャンボンのセヴェンヌ高校で、数学の魅力に目覚めた。
1945年にモンペリエ大学に入学して数学の学士号を取り、1948年に卒業した。パリでアンリ・カルタンらのセミナーに参加したが講義になじめず、1949年にナンシー大学に移ってジャン・デュドネのもとで研究を始め、初期には関数解析学の業績を残した。その後、セールらの影響で関心は代数幾何学に移った。1950年代後半からは、スキーム論による代数幾何学の書き換えや、ホモロジー代数、層論、圏論への貢献があり、それぞれの分野だけでなく数学全体に決定的な影響を与えた。目標はヴェイユ予想の解決であり、そのために代数幾何を根底から書き直し、「代数幾何原論」をエウクレイデスの『原論』と同じ13巻にしようとしたが、書かれたのは1巻から4巻の約1500ページだけで、5巻以降は未完に終わった。13巻までの内容は、弟子たちと行った「マリーの森の代数幾何セミナー」の書物として刊行され、全7巻で約6500ページである。
ヴェイユ予想に最も貢献したのは、彼が見いだした新しいコホモロジーのエタール・コホモロジーで、l進コホモロジーやクリスタリンヌ・コホモロジーなども発見した。予想そのものは、彼が切り開いた道具を用い、弟子のピエール・ルネ・ドリーニュが解決した。ファルティングスによるモーデル予想の解決にも、スキーム論が使われた。業績は、数論、代数幾何、位相幾何を統合するものだと評される。ほかにモチーフやモチヴィック・ガロア群の考察、遠アーベル幾何学の提唱、トポスの理論などがある。ドリーニュ、イリュージー、ベルテロら多くの数学者を育てた。ジャン・デュドネとともに、IHÉSの最初の常勤の数学教授に選ばれ、1966年にフィールズ賞を受けた。1988年に授与されたクラフォード賞は固辞した。
反戦運動と環境問題に熱心で、1970年ごろにIHÉSが軍から資金援助を受けていると知ると、すぐに辞職し、数学から距離を置いた。1985年には自伝的な作品『収穫と蒔いた種と』を執筆した。1991年に家族のもとを去り、ピレネー山脈のふもとのアリエージュ県で隠遁し、タンポポのスープなどの粗食で暮らした。同地に住んでいたことは死後に判明した。2010年1月には、許諾のない著作の削除を求める手紙を書いた。2014年11月13日、ラセール近くの病院で86歳で亡くなった。自然数57は、素数の一般論の講演で具体例を求められた彼が誤って選んだことから、「グロタンディーク素数」と呼ばれる。
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