伝記
レミー・キルミスター、本名イアン・フレイザー・キルミスターは、1945年12月24日にイングランドのストーク=オン=トレントで生まれたロック・ミュージシャンである。生後3か月のとき、元空軍付き牧師でコンサート・ピアニストの父が母のもとを去り、一人っ子の彼は母と祖母とともに近隣の町へ移った。10歳だった1956年に母が元ラグビー選手と再婚し、一家はウェールズのアングルシー島ベンレックの農場に移った。700人のウェールズ人の中でただ一人のイングランド人の子どもだったことは、あまり幸せな時期ではなかったが、人類学的には興味深かったと振り返っている。学校では「レミー」と呼ばれたが、その由来については、金を借りる癖から来たという説もあるものの、本人は知らないと述べた。やがてロックンロールや女の子、オートバイ、馬に関心を持ち、学校に持って行った母のギターで女の子に囲まれたという。
学校を出てからは馬の飼育や電機工場の組み立てなどの職を転々とし、地元のバンドでギターを弾いた。16歳のときにリヴァプールのキャヴァーン・クラブでビートルズを見て、その初のアルバムに合わせてギターを覚えた。ジョン・レノンが、暴言を吐いた客を殴る場面まで目撃したと語っている。1960年代中ごろからザ・ロッキン・ヴィッカーズなど幾つかのバンドを渡り歩き、1967年にロンドンへ移ると、ジミ・ヘンドリックスやザ・ナイスのローディーをした。1968年にはタブラを使う異色のバンド、サム・ゴパルにヴォーカルとギターで加入したが、アルバムを一枚残して脱退した。1969年には、のちにホークウインドのドラマーとなるサイモン・キングが率いるオパール・バタフライにも数か月在籍した。
1972年にサイケデリック・ロックのホークウインドにヴォーカリスト兼ベーシストとして加わり、「シルヴァー・マシン」などで全盛期を支えたが、ドラッグ所持での逮捕を機に1975年に解雇された。同じ年にモーターヘッドを結成し、大音量で演奏するフリークアウト・ミュージックを掲げて、以後40年にわたりフロントマンとして活動した。パンク・ロックの興隆やヘヴィメタルのブームなど、ロックの流行が激しく移り変わっても、独特の爆走型ロックンロールは変わらなかった。ガールスクールやタンクのような若手をツアーに同行させて、チャンスを与えたことでも知られる。『ローリング・ストーン』誌の「史上最高のベーシスト50選」では33位に選ばれた。ベースは長くリッケンバッカーを使い、マーシャルのアンプで、ギターのように歪んだ音を鳴らした。マイクを顔より高い位置に据え、やや上を向いて歌うのも特徴だった。ひげ面に長髪、頬の大きないぼ、腰の弾丸ベルトがトレードマークで、日本では「極悪ロッカー」という呼び名が常に付いて回った。2010年には、ドキュメンタリー映画『極悪レミー』が公開された。
読書家でもあり、『指輪物語』の愛読者だった。私生活は生涯ほとんど公表せず、少なくとも一人、ミュージシャンの息子がいたとされる。2015年12月26日に末期癌と宣告され、脳などへの転移が見られた。12月28日、1990年から暮らしていたロサンゼルスの自宅で70歳で死去した。死因は前立腺癌と不整脈と心不全だった。この死を受けて、バンドのミッキー・ディーは解散を公式に表明した。
同じ年に亡くなった人物
- ベルナール・マリス (2015年没)
- パトリシア・ノリス (2015年没)
- エドゥアルド・ガレアーノ (2015年没)
- アンディ・フレイザー (2015年没)
- ターリク・ミハイル・アズィーズ (2015年没)
同じ地域に関係する人物
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- ジョージ・アクセルロッド (2003年没)
- ハリー・マーコウィッツ (2023年没)
- ジュリアン・サンズ (2023年没)
- テレサ・サルダナ (2016年没)