伝記
テリー・プラチェットは、本名をテレンス・デイヴィッド・ジョン・プラチェットといい、1948年4月28日にイングランドのバッキンガムシャー州ビーコンズフィールドで生まれた作家である。機械工の父デイヴィッドと、秘書だった母アイリーンの一人っ子で、母方の祖父母はアイルランド出身だった。通ったホルツパー校では、言葉の不自由さをからかわれ、校長にも好かれなかったという。1957年に一家は一時サマセット州のブリッジウォーターに移り、1958年に進学試験に合格して、ハイ・ウィカム工業高校に入った。討論部の中心的な生徒で、校内誌に物語も書いたが、本人は自分を「ぱっとしない」生徒だったと述べ、教育を受けた場所として、ビーコンズフィールドの公共図書館を挙げている。
少年の頃は天文学に熱中し、宇宙を描いた紅茶のカードを集め、望遠鏡も持って天文学者を夢見たが、必要な数学の力が足りなかった。やがてSFに興味を移し、1963年か1964年ごろからSF大会に通ったが、最初の仕事に就いてからは数年で足が遠のいた。初期の読書には、H・G・ウェルズやアーサー・コナン・ドイルらの作品があり、後年には、本来読むべきあらゆる本を読んだことが「教育を受けること」だったと振り返っている。最初の短編「商売敵」は1962年に校内誌に載り、13歳で書いた「地獄の商売」は、15歳のときにSF雑誌に掲載された。
1965年、17歳で学校を去り、ジャーナリズムの道に入った。地元紙バックス・フリー・プレスの編集長アーサー・チャーチのもとで見習いとして働き、「子どもの輪」欄に「ジム伯父さん」の名で80本以上の物語を書いた。戸別訪問の取材は苦手だったと後に語っている。同じ年の11月には短編がSF雑誌に載った。1968年、小さな出版社コリン・スマイスの共同経営者に会って書いた原稿の話をし、これが処女長編『カーペット・ピープル』として、1971年に彼自身の挿絵つきで出版された。評価は少数ながら好意的だった。
代表作は《ディスクワールド》シリーズである。1983年の第1作『ディスクワールド騒動記』のあと、年に平均2冊のペースで書き継いだ。ユーモアをファンタジーとSFに持ち込んだ作家として愛され、ニール・ゲイマンとの共著『グッド・オーメンズ』(1990年)でも知られる。1990年代のイギリスでもっとも売れた作家のひとりで、2007年12月には著作の売り上げが5500万部に達したとされる。2001年には『天才ネコモーリスとその仲間たち』でカーネギー賞を受けた。1998年に「文学に対する貢献」によりOBEに叙され、のちにナイトの称号も得た。
2007年12月、若年期のアルツハイマー病を発症していると公表し、アルツハイマー病研究財団に約100万ドルを寄付した。2009年2月には、アルツハイマー病や末期癌の患者の自殺幇助を合法化するよう提言し、自らその最初の例になる用意があると述べた。声明の中で、父が末期癌で安楽死を望みながら果たせなかったことにも触れている。2015年3月12日、感染症のため亡くなった。診断から8年後であった。
同じ年に亡くなった人物
- ヨハンナ・クヴァント (2015年没)
- Michael Martin (2015年没)
- ペダー・ペダーセン (2015年没)
- ジム・ダイアモンド (2015年没)
- アーニー・バンクス (2015年没)
同じ地域に関係する人物
- エリック・シプトン (1977年没)
- ヤン・インゲンホウス (1799年没)
- シドニー・ハーバート (初代ハーバート・オブ・リー男爵) (1861年没)
- アンソニー・イーデン (1977年没)
- Aethelwold of Wessex (902年没)