HISTORICAL PERSON · 2015年没

デミス・ルソス

ギリシャの歌手、演奏家。1970年代にソロで国際的なヒットを記録し、バンドのアフロディテス・チャイルドにも参加。アルバムは6000万枚以上売れた。

生涯
2015年没
死亡地
ギリシャ共和国(アッティキ / アテネ)
出生地
エジプト・アラブ共和国(アレクサンドリア)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(アッティキ)

伝記

デミス・ルソスは、本名アルテミオス・ヴェントゥリス=ルソスといい、1946年6月15日にエジプトのアレクサンドリアで生まれたギリシャ系の歌手である。父ヨーゴスはクラシックギタリストでエンジニア、母オルガは歌手で、母方の家族はギリシャから移り住んだ人々だった。子供のころから音楽を学び、ギリシャ・ビザンティン合唱団に入った。国際的な港湾都市で育ち、伝統的なアラブ音楽やギリシャ正教会の音楽、ジャズの影響を受けた。第二次中東戦争が起きると、両親は財産を失い、ギリシャへの移住を余儀なくされた。

ギリシャに移った17歳のころ、エヴァンゲロス・パパサナスィウ、のちのヴァンゲリスと出会い、いくつもの音楽グループを転々としながら、彼が加わるアフロディテス・チャイルドへの参加を夢見た。やがてプログレッシブ・ロックバンドのアフロディテス・チャイルドに加入し、ルーカス・シデラスやヴァンゲリスとともに、ボーカルとベースを受け持った。1968年から1972年ごろにかけて、フランスなどヨーロッパで大きな商業的成功を収めた。国際的な人気を得るためイギリスへ向かおうとしたが、ビザの問題でいったんドーバーに戻り、パリに移ってフィリップス・レコードと契約した。最初の録音は五月革命と重なって延期されたが、その後に録音された「レイン・アンド・ティアーズ」がヨーロッパ中で人気を博した。この曲はヴァンゲリスの作曲で、ルソスのハイテノールの歌声を特徴とする。ヨハネの黙示録を題材にしたアルバム「666」も、オペラを意識したルソスの歌唱によって国際的な成功を収めた。

グループの解散後も、ルソスはヴァンゲリスと単発的に協力を続けた。1971年には楽曲がオランダやベルギーでヒットしたことをきっかけに、ソロ活動を始めた。当初はあまり成功しなかったが、ヨーロッパ各国を回るうちに人気が高まり、1970年代半ばに、いくつものヒットアルバムによって頂点を迎えた。「フォーエバー・アンド・エバー」は1976年に全英シングルチャートで1位となり、1975年には「ハッピー・トゥ・ビー・オン・アン・アイランド・イン・ザ・サン」が5位に入った。BBCのプロデューサー、ジョン・キングは、ヨーロッパでの人気に着目し、1976年に「ルソス現象」という番組を制作した。同年にフィリップス・レコードが出した4曲入りのEP盤は、EP盤として初めて英国のシングルチャートで1位を記録し、ヨーロッパやラテンアメリカ、中東、日本でも成功した。ヴァンゲリスとの協力では、映画「炎のランナー」の主題曲に歌をつけたカバーが最も成功した例とされる。アルバムの総売上は、世界で6000万枚以上とされる。

1985年6月14日、トランス・ワールド航空847便がハイジャックされ、ルソスは乗客の一人だった。機内で39歳の誕生日を迎え、5日後に他のギリシャ人の人質4人とともに釈放された。大半の人質は17日間拘束された。また、増え続ける体重に苦しみ、1980年6月には140キロに達したが、その後の10か月で約50キロ減らした。1982年には、ヴァンゲリスの元妻である写真家とともに、この経験を語る本を著した。晩年の2009年にはスタジオアルバム「デミス」を出した。2015年1月25日、アテネの病院で死去し、葬儀は1月30日に、アテネの第一墓地で行われた。同じギリシャの歌手ナナ・ムスクーリは、その声で全世界を旅した人だと追悼した。

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