伝記
ジョン・ハーシェル・グレン・ジュニアは、1921年7月18日に生まれ、2016年12月8日に没したアメリカの元海兵隊の戦闘機パイロットであり、宇宙飛行士、政治家である。1962年にアメリカ人として初めて地球を周回する軌道宇宙飛行を行った。1974年から1999年まで、オハイオ州選出の上院議員を務めた。
オハイオ州に、配管会社に勤める父ジョン・ハーシェル・グレン・シニアと、教師の母クララ・テレサの子として生まれ、生後まもなく、同州のニューコンコードに移った。父は自ら配管の会社を興した。幼い頃に、のちに妻となるアニー・キャスターと知り合い、2人は互いを知らなかった頃を思い出せないほどだったという。8歳のとき、父とともに初めて飛行機に乗り、飛行に魅せられて、軽い木材の模型飛行機をつくった。高校ではフットボールやバスケットボール、テニスの選手となり、1939年にマスキンガム大学に入って化学を学んだ。市民パイロット訓練課程で操縦免許を得た。第二次世界大戦が始まると大学を離れ、1942年3月にアメリカ海軍の航空士官候補生となり、のちに海兵隊に移った。1943年4月6日にアニーと結婚した。1944年に第155海兵戦闘航空隊に配属され、F4Uコルセア戦闘機を操縦して、主にマーシャル諸島で日本軍に対する対地攻撃を行い、50回を超える戦闘出撃をこなした。終戦時の階級は大尉だった。
戦後はグアムを基地として偵察飛行を行い、1948年に飛行教官となった。朝鮮戦争では海兵隊の一員として朝鮮半島で戦い、軍種間の人材交流で空軍のF-86セイバー戦闘機に乗り、敵の戦闘機3機を撃墜した。多くの勲章を授与された。1954年7月にアメリカ海軍テストパイロット学校を卒業し、新型機のテストパイロットとなった。後に名誉勲章を受けるジェームズ・ストックデールが、数学や物理学を教えてくれたという。1957年7月16日、F8Uクルセイダー戦闘機で、ロサンゼルスからニューヨークまでを3時間23分8秒で飛び、超音速で初めてアメリカ大陸を横断した。このとき生まれ故郷の上空を超音速で飛び、ソニックブームの大きな音で人びとを驚かせた。
1959年、アメリカ初の宇宙飛行士7人の1人に選ばれた。マーキュリー計画に従事し、1962年2月に、マーキュリー6号「フレンドシップ7」に乗って、アメリカ初の地球周回軌道を飛行した。この飛行は映画『ライトスタッフ』のモデルになっている。海兵隊大佐で退役し、この年にコリアー・トロフィーを受けた。1964年に航空宇宙局を辞めて実業家に転じ、1974年から1999年までオハイオ州選出の上院議員を務めた。1984年には民主党の大統領予備選挙に出馬したが、途中で敗退した。1998年10月29日、スペースシャトル「ディスカバリー」で再び宇宙に出て、9日間滞在した。77歳での宇宙飛行は、当時の最年長記録で、高齢者の可能性を示したと評された。1999年には、クリーブランドの研究センターが、彼を記念してグレン研究センターに改称された。2012年5月に大統領自由勲章を授与された。2016年12月8日に、95歳で死去した。
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