HISTORICAL PERSON · 2016年没

トーマス・シェリング

アメリカの経済学者、政治学者でゲーム理論家。ハーバード大学などで教え、2005年にノーベル経済学賞を受賞した。原爆が実戦で使われなかったことは奇跡だと指摘した。

生涯
2016年没
死亡地
アメリカ合衆国(メリーランド州 / ベセスダ)
出生地
アメリカ合衆国(オークランド)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(メリーランド州)

伝記

トーマス・クロンビー・シェリングは、1921年4月14日にカリフォルニア州オークランドで生まれたアメリカの経済学者であり、政治学者、ゲーム理論家である。サンディエゴの高校を卒業し、カリフォルニア大学バークレー校で1944年に経済学の学士号を取得した。1948年から1953年にかけては、ヨーロッパでマーシャル・プランに関わり、ホワイトハウスや大統領府でも働いた。博士論文の大部分は、ヨーロッパにいたころ、夜に書き上げたという。1951年にハーバード大学から経済学の博士号を授けられ、1953年にイェール大学の教員となった。1956年にはランド研究所に加わり、1958年にはハーバード大学の経済学の教授となり、国際問題センターの共同設立にも関わった。1969年にケネディスクールに移り、ルーシアス・リタウアー政治経済学教授を務めて、現在の同校の礎を築いた「創設者」の一人とされる。

ハーバード大学を退いた後は、メリーランド大学の公共政策大学院で教えた。1991年にはアメリカ経済学会の会長を務めた。1947年にコリーン・ティガイ・サポスと結婚して4人の男の子をもうけ、1991年にアリス・コールマンと再婚した。

戦略研究の権威として知られ、最もよく知られた著書『紛争の戦略』(1960年)では、交渉と戦略的行動の先駆的な研究を示した。その後の1995年に、1945年以降の最も影響力のある100冊の1冊とされた。この本で、「焦点」や「信用できる約束」といった概念を紹介した。シェリングは、敵を打ち負かすだけでなく、協力の機会を生かすことが必要だと説き、利害が完全に対立する「純粋な紛争」は、ごくまれだと指摘した。1966年に『軍備と影響力』を、1978年には『ミクロ動機とマクロ行動』を出し、国際経済学の著書もある。軍備管理や気候変動にも取り組み、2002年には京都議定書を再考する時期だと論じた。

1971年の論文「分居の動的モデル」は、たとえ白人と黒人が隣同士で暮らすことに抵抗がなくとも、いつの間にか白人の多く住む地域と黒人の多く住む地域に分かれてしまう理由を、ゲーム理論の手法で説明した。この住み分けを、隣人に対する寛容性の強さと弱さに起因すると仮定し、人種問題を扱う多くの文献に引用された。2006年の論文では、第二次世界大戦から60年を経ても原子爆弾が実戦で使われなかったことは奇跡であり、今後も習わしとして保たれる保証はないと指摘した。アイゼンハワー政権でダレス国務長官が朝鮮半島への投下を具申して見送られた経緯や、ケネディ政権でマクナマラが反核の方向に戻したことにも触れている。

2005年に、ロバート・オーマンとともに、ゲーム理論の分析を通じて対立と協力の理解を深めた功績で、ノーベル経済学賞を受けた。2016年12月13日、メリーランド州ベセスダで、股関節の骨折後の合併症のため、95歳で亡くなった。家族はノーベル賞のメダルを競売にかけ、約18万7000ドルを、公民権を扱う非営利団体に寄付した。夫人は、夫が人生で最も影響を受けた本として、ウィル・ジェームズの馬の物語を挙げていたと語っている。

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