伝記
アルビン・トフラーは、1928年10月4日にニューヨーク市で生まれたアメリカの評論家、作家、未来学者、社会学者である。1949年にニューヨーク大学を卒業した。のちに妻となるハイジとは、同大学で出会った。学生だった二人は、大学院にそのまま残ることに疑問を抱き、アメリカ中西部へ移った。そこで結婚して工場の従業員として約5年を過ごし、工業化された大量生産の現場を実地で学んだ。ハイジはアルミニウムの鋳造工場で働き、のちにその工場の労働組合の事務員になった。アルビンは機械修理工で、溶接工でもあった。
この労働の経験から、トフラーはまず組合系の新聞の記者となり、ワシントン支局に移って、ペンシルベニアの日刊紙の特派員として3年間、議会とホワイトハウスを担当した。その間、ハイジはビジネスと行動科学の専門図書館で働いた。のちに雑誌『フォーチュン』に招かれてニューヨークに戻り、労働問題のコラムニストとなり、やがてビジネスや経営も担当した。同誌を離れると、IBMに雇われ、コンピュータが社会や組織に与える影響を調べた。この仕事を通じて、コンピュータの黎明期の開発者や、人工知能の研究者と知り合った。ゼロックスは自社の研究所について文章を書くよう彼を招き、AT&Tはコンサルタントとして戦略的な助言を求めた。AT&Tについては、政府が解体を強いる10年以上前に、分割を助言していたという。
1960年代から、後に『未来の衝撃』にまとまる文章を書き始めた。ロッセル・セイジ財団の客員研究員、コーネル大学の客員教授などを務め、論文は世界各国の雑誌に訳され、日本では『中央公論』に多く載った。1980年に出版した『第三の波』では、人類の歴史における技術革新の「波」の考え方に基づいて、三つの社会を描き、波はそれぞれ古い社会と文化を脇へ押しやるとした。第一の波は約1万5千年前に農耕が始まった農業社会で、狩猟採集の文化に取って代わった。第二の波は18世紀から19世紀にかけての産業革命で、核家族、工場のような教育制度、企業が社会の主な構成要素となった。トフラーは、第二の波の社会を大量生産、大量流通、大量教育、マスメディア、大量破壊兵器などに基づくものとし、標準化や中央集権化で結びついて官僚制で仕上げられると書いた。
第三の波は脱産業社会で、1950年代の終わりにはこれを論じはじめていた。この社会では情報が物理的な資源の大部分に代わる主要な材料となり、生産者と消費者の隔たりは技術によって埋められ、自分の必要を自分で満たす「生産消費者」が生まれる。トフラーはこれを説明する造語をたくさん作った。銀行の窓口に代えて消費者がATMを自分で操作するのは、その一例である。テクノ音楽の命名者ホアン・アトキンスは、『第三の波』に出てくる「テクノレベル」という造語から着想を得たという。
1996年、トム・ジョンソンとともにコンサルタント会社トフラー・アソシエイツを設立し、顧客には企業のほか、アメリカ、韓国、メキシコ、ブラジル、シンガポール、オーストラリアなどの政府も含まれた。妻ハイジも作家で未来学者であり、夫妻はアメリカ国防大学の教授を務めた。フィナンシャル・タイムズ紙は「世界で最も有名な未来学者」と評し、人民日報は現代中国を形づくった50人の外国人の一人に挙げた。他の未来学と同様に、未来の予測はほとんど不可能だという批判も受けた。2016年6月27日、ロサンゼルスの自宅で死去した。
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