伝記
アラン・シドニー・パトリック・リックマンは、1946年2月21日にロンドンで生まれ、2016年1月14日に膵臓癌のため69歳で亡くなったイギリスの俳優である。舞台と映画の両方で活躍し、深く、しっとりとした独特の声で知られた。英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、プライムタイム・エミー賞、全米映画俳優組合賞などを受賞し、トニー賞にも2度ノミネートされた。
労働者階級の家庭に、4人きょうだいの次男として生まれた。母はウェールズの血を引き、父方の祖母はアイルランド系で、父は工場労働者や塗装工として働いていたが、アランが8歳のときに癌で亡くなった。母は郵便局で働いて、子ども4人をほぼ一人で育てた。子どものころは、書道と水彩画が得意で、私立の中等学校で演劇に関わるようになった。チェルシー美術大学、続いて王立美術大学で学び、グラフィックデザイナーとして働いた。友人たちとデザイン事務所を開き、3年間成功したあと、本格的に俳優を目指すことを決めて、1972年から1974年まで王立演劇学校で学んだ。在学中は、ナイジェル・ホーソーンやラルフ・リチャードソンの付き人をして暮らしを支えた。
卒業後は、地方の劇団や実験的な劇団で幅広く舞台に立ち、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに長く所属して、古典劇と現代劇の両方に出演した。1985年の同劇団の舞台で男性の主役を演じて印象を残し、1987年のブロードウェイ公演ではトニー賞にノミネートされた。テレビでは、BBCの『バーチェスター・タワーズ』でスロープ氏を演じた。日本の演出家蜷川幸雄が手がけた舞台でも、主役を務めた。
1988年、42歳のとき、『ダイ・ハード』で映画に初めて出演し、冷酷なテロリスト集団の首領ハンス・グルーバーを演じて、デビュー作にして代表作の一つとなる人気を得た。1991年の『ロビン・フッド』では、英国アカデミー賞の助演男優賞を受賞した。1996年の『ラスプーチン』では、ゴールデングローブ賞とエミー賞の主演男優賞を受賞した。1997年には、初めて監督を務めた『ウィンター・ゲスト』の宣伝のために来日し、記者会見で猛練習した日本語を披露した。2002年には、ロンドンとブロードウェイで成功した舞台『私生活』で、トニー賞に再びノミネートされた。2001年から2011年には、『ハリー・ポッター』のシリーズで、セブルス・スネイプを演じた。型にはまった悪役に難色を示してオファーを渋っていたが、原作者のJ・K・ローリングが食事に誘って説得し、受諾したという。結末についてローリングから聞いていたと噂されたが、本人はほぼ否定し、人物についてのごく小さなヒントをもらっただけだと話している。ただし、没後の2022年に公開された日記から、スネイプがリリー・ポッターを愛していたことを、事前に伝えられていたことが分かった。
米アカデミー賞にはノミネートされず、2009年にガーディアン誌は、ノミネートされたことのない最高の俳優の一人と評した。学生時代からの付き合いのパートナーで、労働党の元地方議員のリマ・ホートンとは、1977年から同居し、2012年に正式に結婚した。没後に公開された『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』と『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』が遺作となった。
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