HISTORICAL PERSON · 2016年没

ヴェラ・ルービン

米国の天文学者。銀河の回転速度の観測から、光る天体の総質量をはるかに上回る暗黒物質が存在することを示した。高校生で望遠鏡を自作した。

生涯
2016年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニュージャージー州 / プリンストン)
出生地
アメリカ合衆国(フィラデルフィア)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニュージャージー州)

伝記

ヴェラ・クーパー・ルービンは、1928年7月23日にペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれ、2016年12月25日に亡くなったアメリカ合衆国の天文学者である。銀河の回転速度に関する観測と研究から、銀河には、恒星など光を発する天体の総質量をはるかに上回る質量の暗黒物質があることを示した。

東ヨーロッパにルーツを持つユダヤ系の家庭に、姉妹のうち妹として生まれた。父は電話会社で働く電気技術者で、少年のときに母やきょうだいとともにアメリカに移民し、名を英語風に改めた。母も同じ会社で働いていた。1938年に一家はワシントンに移り、10歳のヴェラは窓から星を眺めて、天文学に興味を持った。「そのころから、答えよりも問いのほうに関心があった」と後に回想している。父と一緒に厚紙で粗末な望遠鏡をつくり、流星の観測も始めた。高校の理科の教師からは、科学者の道を避けて芸術家になるよう助言されたが、聞き入れずに、ヴァッサー大学に進んだ。ここは、19世紀の天文学者マリア・ミッチェルにゆかりが深い女子大だった。1948年に天文学の学位を得て卒業した。この年に天文学の卒業生は彼女一人だった。

プリンストン大学の天文学科の大学院を志望したが、女性であることを理由に入学を拒まれた。この大学が天文学科の女性差別の方針をやめたのは、1975年だった。ハーバード大学の大学院には合格したが、物理学の大学院生だった将来の夫がコーネル大学にいたため、結婚を理由に辞退し、コーネル大学に進んだ。そこでフィリップ・モリソンや、のちにノーベル賞を受けるハンス・ベーテとリチャード・ファインマンのもとで物理学を学んだ。銀河の運動を調べ、ハッブル流からのずれを観測した最初の例の一つを得た。この研究を、1950年12月の米国天文学会の年会で発表しようとしたが、指導者たちはためらった。発表の3週間前に最初の子を産んだばかりで、会員でもなかった。それでも発表は「若い母親が宇宙の独自の理論を持つ」という見出しで新聞の一面に載った。本人の記憶では、反応は否定的なものばかりで、論文は出版されなかった。1951年に修士号を取得し、ジョージタウン大学に移って、1954年に、ジョージ・ガモフの指導のもとで博士号を取得した。学位論文は、銀河は宇宙にでたらめに散らばるのではなく、集団をつくるという、当時は論争を呼ぶ考えを結論とした。

アンドロメダ銀河の回転速度を観測し、銀河の回転速度が天体の分布から予測される値と大きく異なり、周辺部でも中心部とほとんど変わらないことを発見した。これは「銀河の回転曲線問題」と呼ばれる未解決問題の一つで、これを説明するために暗黒物質の理論が発展した。1993年にアメリカ国家科学賞、1996年に王立天文学会のゴールドメダル、2003年にブルース・メダルなどを受けた。全米科学アカデミーの会員でもあり、一生を通じて科学を志す女性の育成にも力を尽くした。4人の子はみな自然科学や数学の分野で活動し、息子のカール・ルービンは数学者として知られる。理論物理学者のリサ・ランドールらは、ルービンがノーベル賞で見過ごされたと論じている。ニュージャージー州プリンストンで亡くなった。小惑星5726番のほか、チリのヴェラ・C・ルービン天文台が、彼女にちなんで名付けられている。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物