HISTORICAL PERSON · 2017年没

ハンス・デーメルト

ドイツ出身のアメリカの物理学者。イオントラップ法の開発者の一人で、ヴォルフガング・パウルとともに1989年にノーベル物理学賞を受けた。

生涯
2017年没
死亡地
アメリカ合衆国(ワシントン州 / シアトル)
出生地
ドイツ連邦共和国(ゲルリッツ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ワシントン州)

伝記

ハンス・ゲオルク・デーメルトは、1922年9月9日、ドイツのゲルリッツに生まれた物理学者で、のちにアメリカに移った。10歳でベルリンの古典語学校であるグラウエン・クロスター・ギムナジウムに、奨学金を得て入った。1940年に卒業すると、ドイツ陸軍に志願した。1943年、軍から、ブレスラウ大学で物理学を学ぶよう命じられ、1年間勉強したのち、軍務に戻った。バルジの戦いで捕虜となり、1946年にアメリカ軍の捕虜収容所から解放された。

その後、ゲッティンゲン大学に戻って物理学の研究を続けた。この間、戦前の古いラジオを修理して物々交換することで、生計を立てていた。1948年に修士課程を修了し、1950年に同大学から博士号を授与された。1952年に博士研究員としてアメリカのデューク大学に招かれ、ドイツを離れた。1955年にはワシントン大学の助手となり、シアトルに移った。同じ年に、ブリティッシュコロンビア大学のジョージ・ヴォルコフの研究室で、最初の電子衝撃管を作り、偏極した原子と自由電子の常磁性共鳴の実験をしている。1958年に助教授、1961年に教授に昇進した。1960年代には、学生とともに水素イオンやヘリウムイオンの分光を研究した。

1973年にデーメルトは、デイヴィッド・ワインランドとともに、電子を単独でとらえることに成功した。それまでの測定は、一度に何百万もの電子から得たデータの平均値だったが、この方法では1個の電子を調べることができる。1975年には、粒子を冷却して、エネルギーを減らし、より精密に測れるようにした。1976年には、「ジオニウム原子」を初めてつくり、これを使って、電子と陽電子の磁気モーメントを精密に測った。1979年には、単一の原子の最初の写真を撮影したチームを率いた。1986年には、電磁気的なトラップに閉じこめた1個のバリウムイオンで、量子的な跳躍を一度だけ検出した。その3年後には、電子と陽電子の磁気モーメントはまったく同じだと結論した。電子の大きさの上限を、これまでの加速器による限界の1000分の1にあたる10のマイナス22乗メートルとした。

1989年に、イオントラップ法の開発によって、ヴォルフガング・パウルとともにノーベル物理学賞の半分を受賞した。もう半分は、ノーマン・ラムゼーに贈られた。1970年にデヴィッソン・ガーマー賞、1985年にランフォード賞、1995年にアメリカ国家科学賞を受けた。2002年10月に退官した。イルムガルト・ラッソウと結婚して、長男ゲルトをもうけた。1989年に医師のダイアナ・ダンドアと再婚した。2017年3月7日、シアトルで亡くなった。94歳だった。

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