伝記
マヌエル・アントニオ・ノリエガ・モレノは、1934年2月11日にパナマ市で生まれたパナマの軍人、政治家である。1983年から1989年まで事実上の指導者として君臨した最高司令官(将軍)で、公式に大統領の職に就いたことはない。日本の報道では「ノリエガ将軍」の通称で呼ばれた。ペルーのリマにあるチョリリョス士官学校で学び、工兵部隊の少尉として卒業した。22歳のころにパナマの国家警備隊に入隊し、米陸軍の米州学校でも訓練を受けた。
国家警備隊に入って6年ほどのち、国境に近いチリキ地区の司令官で少佐だった当時、オマル・トリホス将軍の復権を支持した。この功績で中佐に昇進し、諜報機関G2の長となった。この地位から麻薬取引を黙認し、その利益を受けていたと、作家のラリー・コリンズは書いている。ノリエガは1950年代から米国の中央情報局(CIA)のために働いていたともいわれ、CIAは1970年代初めに彼を定期的な報酬を払う協力者としたとされる。キューバのカストロ政権やニカラグアのサンディニスタ政権など、米国と敵対する左派政権とも関係を持ち、多重に取引をしていたといわれる。
1983年にパナマ軍の最高司令官に就任した。隣国コロンビアの麻薬組織メデジン・カルテルと結びつき、パナマから米国へコカインなどを密輸するルートを私物化していったとされる。1985年9月、麻薬との結びつきを告発していた医師で野党の政治家ウーゴ・スパダフォラが殺害され、首のない遺体が国境で見つかった。大統領バルレッタは調査委員会を設置すると表明した後で辞任に追い込まれた。1987年には軍のナンバー2であったディアス・エレーラが、ノリエガを選挙不正や政治的殺人で公然と非難した。パナマにおけるノリエガの統治は、メディアの抑圧、軍の拡大、政敵の迫害を特徴とする独裁と評された。米国との関係は1980年代後半に悪化し、1988年にマイアミとタンパの連邦大陪審が、恐喝、麻薬密輸、資金洗浄の罪で彼を起訴した。
1989年に大統領選挙に出たが、落選が確実になると軍を動員して選挙の無効を宣言し、「尊厳大隊」と呼ばれる直属の私兵組織を使って反対者を暴力で鎮圧した。その5日後、麻薬資金の洗浄や在パナマ米軍兵士の殺害、選挙結果の不履行を理由に、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の命令で米軍がパナマに侵攻し、圧倒的な物量差の前にパナマ国防軍は敗れた。ノリエガはローマ教皇庁の大使館に避難したが、包囲される中で投降し、米国に連行された。1992年に麻薬密輸の罪で懲役40年を言い渡され、後に30年、さらに善行を理由に減刑されて、フロリダ州マイアミで服役し、2007年9月9日に釈放された。
フランスでは、銀行口座で麻薬資金を洗浄したとして、1999年に欠席裁判で禁固10年の有罪判決を受けていた。2010年4月26日にフランスへ移送され、同年7月7日にパリの裁判所で禁固7年を言い渡された。2011年12月11日にフランスからパナマに送還され、22年ぶりに母国の土を踏んで、そのまま収監された。パナマでも、スパダフォラ殺害などの容疑で禁固20年の判決を受けている。2017年3月7日に脳腫瘍の手術を受けたが、直後に出血が見られて重体と報じられ、5月29日に83歳で死去した。
同じ年に亡くなった人物
- ジョナサン・デミ (2017年没)
- ルネ・ガルシア・プレヴァル (2017年没)
- アナ・ベラ=ルビオ (2017年没)
- Boris Nikolov (2017年没)
- トート・ヨージェフ (1929年生のサッカー選手) (2017年没)
同じ地域に関係する人物
- ジミー・エンジェル (1956年没)
- ベリサリオ・ポラス・バラオナ (1942年没)
- アミルカル・エンリケス (2017年没)
- マーゴ・フォンテイン (1991年没)
- ラファエル・デ・ノガレス・メンデス (1936年没)