伝記
サー・ロジャー・ジョージ・ムーアは、1927年10月14日にロンドンのストックウェルで、警察官の息子として生まれたイギリスの俳優である。バッキンガムシャーのアマーシャムにある、ドクター・シャロナーズ・グラマースクールに入学した。1940年代に映画のエキストラに出たのち軍隊に入り、第二次世界大戦中はイギリス軍の娯楽部隊に所属した。除隊後は再び大部屋俳優となり、モデルやテレビの舞台監督助手なども経験した。1950年代にアメリカへ渡り、テレビドラマに出る下積みが続いた。1954年、MGM映画『雨の朝巴里に死す』に出演し、同年に同社の契約俳優となった。
1962年、テレビシリーズ『セイント 天国野郎』に主演してスターの地位を得た。この作品は、製作が『サンダーバード』で知られるルー・グレード卿で、主人公サイモン・テンプラー役はパトリック・マクグーハンとムーアが候補となり、ムーアが射止めた。ムーアはこの作品で、監督と脚本家としてもデビューした。人気が低迷気味だった原作の小説の新刊や復刻を促す、カンフル剤にもなった。1971年からは『ダンディ2 華麗な冒険』などのテレビシリーズでも活躍し、イギリス文学が生んだ二大キャラクターである、シャーロック・ホームズとジェームズ・ボンドを演じた唯一の俳優とされた時期もある。
1973年、ショーン・コネリーの後継として、『007 死ぬのは奴らだ』で3代目ジェームズ・ボンドに主演した。ポール・マッカートニーとウイングスが歌った同作の主題歌もヒットした。以後『黄金銃を持つ男』『私を愛したスパイ』『ムーンレイカー』『ユア・アイズ・オンリー』など、1985年の『美しき獲物たち』まで足掛け13年、7作で主演を続けた。これはボンド俳優の中で最多の出演本数である。コネリーとは正反対の路線を目指し、エレガントでユーモラスなボンドを作り上げた。初めて黒髪ではないボンドで、クイーンズイングリッシュを話すボンドも彼が初めてであり、タバコの代わりに葉巻を愛用する設定になった。原作者フレミングが彼を推薦していたといわれるが、ムーア自身はフレミングと面識がなく、プロダクションの宣伝ではないかと推察している。実は1960年代から何度か候補にあがりながら、スケジュールが合わず、4度目のオファーでようやく決まったという。1983年6月には『オクトパシー』の公開に先駆けて来日し、テレビ番組に出演して、ジョークを連発して会場を爆笑させた。
自他ともに認める運動音痴で、アクション場面の多くは代役が演じたとも言われ、「これ以上やったら殺される」と冗談めかして降板の理由を述べた。ユニセフの親善大使としても精力的に活動し、これはオードリー・ヘプバーンに勧められたという。2003年にナイトの称号を与えられ、2007年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を獲得し、2008年には初めての自伝を出版して、フランスの芸術文化勲章のコマンドゥールを受けた。私生活では4度結婚した。2人目の妻の歌手ドロシー・スクワイアーとは1961年に破局したが、彼女は8年間離婚を拒んだ。3人目の妻の元女優ルイザ・マッティオリとの間には2男1女がおり、2002年に離婚が成立すると、74歳でクリスティナ・ソルトラップと結婚した。2017年5月23日、がんにより89歳でスイスで亡くなり、葬儀は遺志によりモナコで密葬として行われた。
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