伝記
フランス・ギャルは、1947年10月9日にパリで生まれ、2018年1月7日にパリ西郊で没したフランスの歌手である。本名はイザベル・ジュヌヴィエーヴ・マリ・アンヌ・ギャル。歌手のほか、モデルや女優としても活動した。1965年にルクセンブルク代表として出場し、「夢見るシャンソン人形」で第10回ユーロビジョン・ソング・コンテストに優勝したことで知られる。
音楽に囲まれて育った。父ロベール・ギャルは作詞家で、母セシルは、「パリ木の十字架少年合唱団」の共同設立者の娘だった。パリ12区で、年上の双子の兄たちとともに育ち、中学に入ったが、16歳のとき留年して学業をやめた。1963年、父が15歳の娘に曲の録音を勧め、試験録音を編集者に送ると、その声と姿に感心した編集者が、すぐに契約した。この年に、フィリップスから「恋のお返し」でデビューした。同じ会社で働いていた作曲家セルジュ・ゲンスブールが、彼女のために曲を書くようになった。彼が最初に書いた曲は、1964年に好評を得た。同じ年、父が作詞した、学校の創始者とされるシャルルマーニュ大帝に勉強の不満を歌う「シャルマーニュ大王」が大ヒットし、最終的に200万枚が売れたとされる。
1965年、ルクセンブルク代表として、ナポリで開かれた第10回ユーロビジョン・ソング・コンテストに出場し、ゲンスブール提供の「夢見るシャンソン人形」を歌って、優勝した。優勝によって各国に知られるようになり、ドイツ語、イタリア語、日本語でも吹き込んだ。この曲は日本語盤も発売されて、1966年6月に来日公演を行った。1960年代の後半には、ドイツ語やイタリア語、スペイン語の曲も吹き込み、1967年から1972年まではドイツのデッカとも契約して、ドイツ語の曲を数多く出した。1968年にフィリップスを離れ、いくつものレーベルを移籍した。1970年代に入って、作曲家ミッシェル・ベルジェと知り合い、そのプロデュースのもとで本格的な歌手として再出発し、絶大な支持を得た。1976年にベルジェと結婚し、長女のポーリーヌ(1978年生まれ)と、長男(1981年生まれ)を授かった。
1985年、日本では、ホンダの自動車のテレビコマーシャルに、彼女の曲「涙のシャンソン日記」が使われた。1996年には、ジャン=リュック・ゴダールが、1980年に録音した「もっと高く」のプロモーション・フィルムを撮影した。1992年に夫ベルジェが死去し、1997年には、娘のポーリーヌを嚢胞性線維症で亡くした。自身も1990年代の半ばに乳がんを患い、以後は表舞台に出ることがなくなり、実質上の引退状態となった。その後は、数々の人道支援のプロジェクトに参加した。映画『ゲンスブールと女たち』(2010年)と『最後のマイ・ウェイ』(2012年)では、それぞれ別の女優が彼女を演じた。晩年は療養生活を送り、2018年1月7日に、乳がんのため、パリ西部の病院で亡くなった。
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