伝記
バーバラ・ピアース・ブッシュは、1925年6月8日に生まれ、第41代アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュの妻として、1989年から1993年までファーストレディを務めた女性である。第43代大統領ジョージ・W・ブッシュとフロリダ州知事ジェブ・ブッシュの母でもある。父マーヴィン・ピアースは女性誌の出版者で、のちにマッコール株式会社の社長となった。母はポーリン・ロビンソンで、バーバラは3番目の娘だった。ニューヨーク市クイーンズ区で生まれ育ち、サウスカロライナ州チャールストンの寄宿学校に入学し、夏休みにはロード・アンド・テイラー百貨店で働いた。1949年には、バーバラが第2子を妊娠中に母が自動車事故で亡くなっている。
17歳のクリスマス休暇に、コネチカット州グリニッジのカントリークラブで、フィリップス・アカデミーの新入生だったジョージとダンスをして出会った。1年半後、ジョージが海軍パイロットとして第二次世界大戦に従軍する直前に、2人は結婚を約束した。ジョージが休暇で帰国したとき、バーバラはスミス・カレッジを中退していた。2週間後の1945年1月6日に、2人はニューヨーク州ライの教会で結婚した。戦後、ジョージがイェール大学を卒業するとテキサス州ミッドランドへ転居し、6人の子供が生まれた。長女のロビンは白血病で亡くなり、このことから、白血病患者への支援にも熱心に取り組んだ。一家は結婚後29回転居した。夫が政府の仕事で家族から離れている間、単独で家族の面倒を見た。夫が中央情報長官になってからは家庭で仕事の話が共有できず、会話が減ったことからうつ病を患ったが、夫の薦めで始めたホスピスでのボランティアや、中国での生活についての講演によって回復したという。
夫が1980年の大統領選挙の予備選でレーガンに敗れたのち、副大統領候補に指名された。レーガンが当選すると、副大統領夫人として公務にあたった。力を入れたのは識字率の向上で、三男のニールが識字障害に苦しんだことが動機だった。識字率を高めることは貧困を減らすことだと信じていたという。1984年には愛犬についての子供向けの本を出版し、収益をチャリティーに寄付した。
ファーストレディとなると、贅沢品に囲まれ高慢なイメージのナンシー・レーガンとは異なり、就任式後の晩餐会に29ドルの靴で出たと報じられるなど、親しみやすい人柄で人気を得た。初めてアフリカ系アメリカ人の秘書官を任命したファーストレディでもある。「バーバラ・ブッシュ・ファミリー・リテラシー財団」を設立し、人気番組に出演して教育の重要性を訴えた。愛犬ミリーの本は1990年にベストセラーとなり、印税は財団に寄付された。同年のウェルズリー大学での演説は、当初は歓迎されなかったが、終わると大きな喝采を浴び、「20世紀のアメリカの演説ベスト100」の45位に選ばれた。HIVが社会問題となっていた時期には、感染した乳児を抱き上げる写真が多くの紙面を飾り、その後も患者との面会や病院訪問を続けた。
晩年は夫とともに、テキサス州ヒューストンとメイン州ケネバンクポートで暮らした。1994年に自叙伝を著し、2012年に財団の理事長職を次男のジェブと次女のドーロに譲って名誉理事長となった。辛辣なコメントや失言で論争を呼ぶこともあった。2018年4月15日、これ以上の治療を行わないと決断したことを発表し、2日後の4月17日に92歳で死去した。7か月半後の11月30日には、夫のジョージも亡くなっている。
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