HISTORICAL PERSON · 2018年没

ギュンター・ブローベル

アメリカの生物学者。タンパク質が細胞内での輸送と局在化を決める信号を内在していることを発見し、1999年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

生涯
2018年没
死亡地
アメリカ合衆国(ニューヨーク州 / ニューヨーク)
出生地
ポーランド共和国(ニェゴスワヴィツェ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(ニューヨーク州)

伝記

ギュンター・ブローベルは、1936年5月21日、ドイツ東部ニーダーシュレージエンのヴァルタースドルフ(現在のポーランド、ニェゴスワヴィツェ)に生まれた。1945年1月、赤軍の進攻を逃れて一家でドレスデンへ避難した。ドレスデンの爆撃のとき、8歳の彼は家族とともに市の西にある親戚の農場にいた。戦後はザクセンのフライベルクで育ち、ギムナジウムに通った。姉は、ドレスデン爆撃の直後に、乗っていた列車が空襲を受けて亡くなり、兄は戦争を生き延びて、アメリカで獣医になった。医学を学び、1960年にテュービンゲン大学を卒業し、2年間の医学実習を終えたのち、兄を追って米国ウィスコンシン州マディソンへ移った。ウィスコンシン大学の大学院に入り、ヴァン・ポッターの研究室で学んで、1967年に博士号を受けた。

その後、ニューヨークのロックフェラー大学でジョージ・パラーデのもとの博士研究員となり、まもなく教授に任じられた。1968年から同大学で研究し、1986年にはハワード・ヒューズ医学研究所の研究員となった。1987年にはアメリカの市民権を獲得した。タンパク質には、細胞内での輸送と局在を支配する信号が内在していることを発見し、1999年に、単独でノーベル生理学・医学賞を受賞した。これは、新しく合成されたタンパク質を正しい場所に届ける「宛名札」の役を果たす、シグナルペプチドの発見である。1978年に米国科学アカデミーの分子生物学賞、1982年にガードナー国際賞、1993年にアルバート・ラスカー基礎医学研究賞、1996年にキング・ファイサル国際賞科学部門などを受けた。亡くなるまでに、細胞生物学を分子の時代に導いたと評された。

ドレスデンの再建を熱心に支援したことでも知られる。1994年に、非営利団体「ドレスデンの友」を創設して会長となり、ノーベル賞の賞金の大半を、聖母教会の再建と新しいシナゴーグの建設に寄付した。聖母教会は2005年に完成した。エルベ川の景観の保全と、教会周辺のノイマルクト地区の再建にも努めた。景観保全への働きかけは、国際記念物遺跡会議を通じて、世界遺産委員会が新橋の建設による景観の悪化を問題とするきっかけとなり、のちにドレスデン・エルベ渓谷が世界遺産の登録を失うことにもつながった。ライプツィヒでは、東ドイツ政府が1968年に爆破した大学教会の再建も目指した。オペラと建築を愛した。妻のラウラ・マイオグリオ、3頭のイングリッシュ・セッターとともにマンハッタンのアッパー・イースト・サイドに住んだ。2018年2月18日、癌のためニューヨークで81歳で亡くなった。

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