伝記
ペニー・マーシャルは、1943年10月15日にニューヨークのマンハッタンで生まれた、アメリカの映画監督・プロデューサー・女優である。本名はキャロル・ペネロピ。父アンソニーは産業映画の監督、のちにプロデューサーとなった人で、イタリア系の家柄だったが、娘の誕生前に姓をマシャレリからマーシャルに改めていた。母マージョリーはタップダンスの教師で、自ら舞踊学校を営んでいた。兄に俳優・監督・テレビプロデューサーのゲイリー、姉にテレビプロデューサーのロニーがいる。名のキャロルは、母が好きだった女優キャロル・ロンバードにちなむという。ペニーという中間名は、馬を欲しがって小銭を貯めていた姉を慰めようとして母が選んだとされる。
一家はブロンクスのグランド・コンコースにある建物で暮らした。ここはニール・サイモンやカルバン・クラインらの子ども時代の家でもあった。ペニーは3歳でタップダンスを始め、のちに母の学校でタップを教えた。ニューヨークの公立女子高校を卒業後、ニューメキシコ大学に2年半通って数学と心理学を学んだ。在学中の1963年にフットボール選手のマイケル・ヘンリーと結婚して娘トレイシーを授かったが、1966年に離婚した。アルバカーキの市民ライト・オペラ協会で振付師を務めるなど、さまざまな仕事で生計を立てた。1967年、先にテレビで活躍していた兄ゲイリーを頼ってロサンゼルスへ移った。
女優としての出発は、シャンプーのテレビコマーシャルだった。ルームメイトにシャンプーを貸す若い女の役で、共演のファラ・フォーセットは、マーシャルが容姿を気にしているのを察して、代役の札の文字を直したという。1968年には兄が脚本を書いた映画への出演を頼まれ、バイカー映画の端役や人気ドラマへの客演も得た。『オール・イン・ザ・ファミリー』の娘グロリア役の候補にもなったが、役はサリー・ストラザースに渡った。1971年からは兄が製作総指揮を務めるドラマ『おかしな二人』で秘書ミルナを4年間演じ、最後の出演回では、実生活の夫ロブ・ライナーが演じる恋人と結婚した。この回には兄ゲイリーと姉ロニーも出ている。在籍中には、1972年のテレビ映画などで小さな役も演じた。1974年には、ジェームズ・L・ブルックスらの手でテレビ番組『ポール・サンド・イン・フレンズ・アンド・ラヴァーズ』の義理の姉妹ジャニス・ドレイファス役に起用された。
1976年から1983年まで放送された『ラバーン&シャーリー』で、主役のラバーン・デフェイジオを演じて人気を得た。この役でゴールデングローブ賞の主演女優賞(テレビ・ミュージカル/コメディ部門)に3度ノミネートされた。同作の監督をしたことがきっかけで映画の世界へ進み、1986年の『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』で監督としてデビューした。続く1988年の『ビッグ』は、女性が監督した映画として初めて、アメリカ国内の興行収入が1億ドルを超えた。1990年の『レナードの朝』はアカデミー賞作品賞の候補になった。さらに『プリティ・リーグ』(1992)、『勇気あるもの』(1994)、『天使の贈りもの』(1996)、『サンキュー、ボーイズ』(2001)を監督し、2005年には『シンデレラマン』と『奥さまは魔女』の製作にも加わり、テレビシリーズ『ユナイテッド・ステイツ・オブ・タラ』など、テレビドラマの回の監督も務めた。
2018年12月17日、糖尿病に伴う合併症のため、ロサンゼルスの自宅で亡くなった。75歳だった。
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