伝記
フィリップ・ウォーレン・アンダーソンは、1923年12月13日にインディアナポリスで生まれ、2020年3月29日に没したアメリカの理論物理学者である。1977年にネヴィル・モット、ジョン・ヴァン・ヴレックとともにノーベル物理学賞を受けた。
父ハリー・ウォーレン・アンダーソンはイリノイ大学の植物病理学の教授で、母方の祖父はウォバッシュ大学の数学者、母方の叔父はローズ奨学生から同大学の英文学教授になった人物という学者の家系に生まれた。育ったのはイリノイ州のアーバナである。1940年に大学付属高校を卒業し、数学教師の勧めでハーバード大学に全額給費で進んだ。「電子物理学」を専攻して1943年に学位を得ると、戦時の動員で海軍調査研究所に勤め、1945年の終戦までアンテナの製作に携わった。学部時代にはトーマス・クーンらと親しく交わったという。戦後は大学院に戻って1947年に修士、1949年にジョン・ヴァン・ヴレックの指導で博士の学位を取った。
1949年から1984年まで、ニュージャージー州のベル研究所で物性物理学の幅広い問題に取り組んだ。この間に、乱れた系では広がっていた電子の状態が局在しうるとする「アンダーソン局在」を打ち立て、超伝導の不純物散乱に関する「アンダーソンの定理」を示し、遷移金属中の電子の相互作用を記述するアンダーソン模型を考案した。超交換相互作用の研究や、スピングラスの分野の創設にも関わった。素粒子物理における対称性の破れを論じた考えは、のちの標準模型や、粒子に質量を与えるヒッグス機構の理論の形成に役割を果たしたとされる。1961年から1962年にはケンブリッジ大学で講師を務め、教室にいた学生ブライアン・ジョセフソンについて、すべてを正確に話さなければ授業後に訂正に来られてしまう落ち着かない経験だったと振り返っている。1967年から1975年には同大学の理論物理学教授であった。
1977年のノーベル賞は、磁性体と乱れた系の電子構造に関する基礎的な理論研究に対するもので、コンピューターの電子的なスイッチや記憶素子の開発につながったと説明される。1982年にはアメリカ国家科学賞を受けた。1984年にベル研究所を退いてプリンストン大学の教授となり、のちに名誉教授になった。著書に『固体の概念』『凝縮系物理学の基本概念』『高温銅酸化物における超伝導の理論』があり、科学の健全な活用を政府に訴える団体の顧問も務めた。2006年には論文の引用数に基づく統計的研究で、世界で最も創造的な物理学者とされた。1980年代に高温超伝導体が見つかると、共鳴原子価結合(RVB)の理論を提案した。納得しない研究者も多かったが、この理論はスピン液体の研究に重要な役割を果たした。
1972年には「多は異なり」と題する論文を発表し、還元主義の限界と、階層ごとにそれぞれの基本原理が必要になることを説いた。これは複雑系の科学の着想源となり、1984年にはサンタフェ研究所の設立準備の会合にも加わった。日本とも縁が深く、1953年に国際理論物理学会のため来日し、1989年に日本学士院の外国人会員となり、2002年には東京大学の名誉博士の称号を受けた。物性研究所の記念植樹の碑には、この「多は異なり」の語が刻まれている。囲碁を好み、日本棋院の名誉三段でもあった。2020年3月29日に死去した。
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