HISTORICAL PERSON · 2020年没

ガーセム・ソレイマーニー

イランのイスラム革命防衛隊の軍人。対外工作を担うゴドス軍の司令官を務め、2020年1月にバグダッドでアメリカ軍の無人機の攻撃で死亡した。

生涯
2020年没
死亡地
イラク共和国(バグダード空港道路)
出生地
イラン共和国(ケルマーン州 / ケルマーン)
出典
世界地図
イラク共和国(ケルマーン州)

伝記

ガーセム・ソレイマーニーは、1957年3月11日に生まれ、2020年1月3日に没したイランのイスラム革命防衛隊の軍人である。対外工作を担う部門であるゴドス軍の司令官を務め、最終階級は生前が少将、死後に中将を追贈された。アメリカ合衆国から制裁などの指定を受けた人物で、2020年1月、アメリカ軍の無人機による攻撃でイラクのバグダッドで死亡した。
出生地には議論があり、多くの非公式情報はケルマーン州ラーボル郡としている。青年期は父の負債を返すために建築労働者として働き、1975年にはケルマーン州の水道局の請負人として働いた。イラン革命後に設立された革命防衛隊には1979年に入り、軍事訓練はほとんど受けないまま昇進を重ねたとされる。軍歴の初期には西アーザルバーイジャーン州でのクルド人独立勢力の鎮圧に参加した。1980年9月にイラクのサッダーム・フセイン大統領がイランへ侵攻した当時は中尉で、イラン・イラク戦争が始まると、敵陣に潜入する大胆な偵察作戦で名を知られた。その勇敢さを認められて急速に昇進し、30歳で第41師団の司令官に任命されたという。

戦争後の1990年代にはケルマーン州の革命防衛隊司令官となり、アフガニスタンとの国境で麻薬の密輸団と戦い、東側の国境での密売阻止に成果を上げた。1999年のテヘランの学生蜂起の鎮圧後には、ほかの革命防衛隊将校23人とともに、当時のハータミー大統領へ、言論の自由の抑圧が軍に影響を与えているとの懸念を伝える書簡を送った。1998年8月までにゴドス軍の司令官に任命されたと見られている。最高指導者ハーメネイーとたびたび会見する立場にあり、海外での工作の全権を委ねられていたと見られる。レバノンのヒズボラ、パレスチナのハマス、シリアのアサド政権に加え、2003年のイラク戦争でフセイン政権が倒れたあとはイラクの民兵組織にも影響力を及ぼし、イラン側はこれを「抵抗の枢軸」と呼んだ。2011年3月までに少将へ昇進している。

2010年代には、2011年のサウジアラビアの駐米大使の暗殺未遂事件に関与したとされた。同年、欧州連合はシリアの抗議行動の弾圧を支援しているとして彼を制裁対象に加え、シリア内戦では中東各国のシーア派民兵を集めてアサド政権を支えたと伝えられる。2015年3月のティクリート、2016年5月のファルージャでは、過激派組織イスラム国に対するイラク軍の奪還作戦の際に現地入りして、イラク軍や民兵の作戦を調整したと報じられた。この戦いのなかで、民兵組織の人民動員隊を指揮下に置いて影響力を強めた。2019年3月には最高指導者から勲章を与えられ、革命以来この勲章を受けた初の軍事司令官となった。

2020年1月3日、バグダード国際空港のそばを車列で走行中に米軍の無人攻撃機の攻撃を受け、人民動員隊の副司令官アブー・マフディー・アル=ムハンディスらとともに死亡した。遺体は損傷が激しく、いつも身につけていた指輪で本人と確認されたという。トランプ大統領は、彼が多くのアメリカ人の殺害を計画していたと主張した。これに対して最高指導者ハーメネイーは厳しい報復を宣言し、1月7日夜、革命防衛隊はイラクの米軍基地にミサイル攻撃を行った。1月4日から7日にかけてイラクとイランの都市で数百万人が参加する葬儀が営まれ、故郷ケルマーンでは群集事故で50人が死亡したため、葬儀が延期された。命日から4年となる2024年1月3日には、墓地で爆弾が2回爆発して80人以上が死亡し、翌日にイスラム国が犯行声明を出した。

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