伝記
ウィルフォード・ブリムリーは、1934年9月27日にアメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティで生まれ、2020年8月1日に没した俳優である。不動産仲買人の父ウィルフォードと母ローラの間に生まれ、父方の祖父はイングランドのウィガン出身、祖母の両親はグラスゴー出身のスコットランド人夫婦だったという。母はデンマーク系の血を半分引き、ほかにもイングランド、ドイツ、スイス、ウェールズの血筋があるとされる。
6歳のときにサンタモニカへ移り住んだ。英語版の記述では14歳で高校を中退し、アリゾナ、アイダホ、ネバダでカウボーイとして働いたとされる。一方、日本語版は朝鮮戦争の勃発後に高校を中退して海兵隊に入ったと記している。入隊は1953年とされ、アリューシャン列島に3年間駐屯した。除隊後はロデオの選手、実業家ハワード・ヒューズのボディガード、牧場の働き手、蹄鉄工などの職に就き、映画やテレビ向けの馬の蹄鉄打ちも手がけた。
俳優への道は、親友の俳優ロバート・デュヴァルのすすめで、1960年代に西部劇の騎乗エキストラやスタントマンを始めたことに始まる。1979年に地元紙へ語ったところでは、俳優として1年に稼いだ最高額は2万ドルだった。正式な演技教育は受けておらず、観客の前で演じた最初の経験はロサンゼルスの劇団だった。映画デビューは1969年の『勇気ある追跡』とされる。1974年から1977年にかけては人気テレビシリーズ『ウォルトン家の人々』に、鍛冶屋のホレス・ブリムリー役で7回出演した。1979年の『チャイナ・シンドローム』で初めてクレジットされた長編映画の役を演じた。1981年の映画「アブセンス・オブ・マリス」では司法次官補役を短い出番ながら印象深く演じ、1982年の『遊星からの物体X』では南極基地の生物学者ブレアを演じて名を上げた。1983年の『テンダー・マーシー』では、デュヴァルの後押しで役を得た。監督は年齢が高すぎると考えたが、最終的に承諾した。続いて『ナチュラル』で野球チームの監督ポップ・フィッシャーを、1984年の『カントリー』で農家の家長オーティスを演じた。
1985年の『コクーン』では初の主演を務めた。出演が決まったとき49歳で、撮影中に50歳になったが、共演する老人役の俳優より少なくとも20歳は若かった。そのため髪と口髭を脱色して白髪にし、顔にしわやしみを描いて役に臨んだ。続編は1988年に作られ、こちらにも主演した。テレビシリーズ『頑固じいさん孫3人』では頑固だが心優しい祖父を演じてヒットし、シーズン2まで制作された。例外的に、1993年の『ザ・ファーム/法律事務所』では悪役の保安責任者を演じている。1997年の『イン&アウト』の後はハリウッドから距離を置いて独立系の作品に関わり、2001年にはテレビ映画『クロスファイア・トレイル』でトム・セレックと共演して復帰した。
オートミールで知られるクエーカーオーツのテレビCMにも長く出演し、濃い口髭の印象から、フルの口髭を「ウィルフォード・ブリムリーひげ」と呼ぶこともある。1979年に糖尿病と診断されて以来、糖尿病に関するチャリティに参加した。1956年に結婚した妻リンとは2000年に死別し、2007年にビヴァリー・ベリーと再婚した。4人の息子がいた。晩年は長く人工透析を受け、腎臓の病による2か月の闘病の末、ユタ州セントジョージの病院で亡くなった。
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