伝記
プラナブ・クマール・ムカルジーは、1935年12月11日に生まれ、2020年8月31日に没したインドの政治家である。インド国民会議派に所属し、2012年7月から2017年7月まで第13代大統領を務めた。日本の報道では「ムカジー」や「ムケルジー」とも呼ばれるが、ヒンディー語での発音は「ムカルジー」に近い。
英領インド帝国のベンガル(現在の西ベンガル州)に生まれた。生地はビルブーム県のミラティという村で、ベンガル人のバラモンの家庭である。父カマダ・キンカル・ムカルジーはインド独立運動に参加し、1952年から1964年まで西ベンガル州の立法参事会の議員を務めた。姉と兄がいた。母の名はラージラクシュミーである。ムカルジーはカルカッタ大学の系列校で学んだのち、同大学で政治学と歴史学の修士号、法学の学位を取得した。1957年に学校の教員となり、のちに郵政電信の会計総監補の事務所で上級事務員を務め、1963年にはヴィディヤナガル大学で政治学の講師となった。政界に入る前にはジャーナリストとしても働いたという。
政治家としての出発は1967年で、バングラ会議派の創設メンバーの一人となった。1969年7月、バングラ会議派の公認で上院にあたるラージヤ・サバー(連邦院)の議員となった。1972年にはインディラ・ガンディーの勧誘を受けて国民会議派に加わり、1973年に産業開発担当の副大臣としてガンディー内閣に入った。ガンディーの側近とされ、「あらゆる季節の男」と呼ばれたという。1975年から77年の非常事態の時期にも内閣で活動し、与党議員らは憲法外の権限を使ったと非難された。1986年にはラジブ・ガンディー首相に閣僚から外され、自らの政党を結成したが、1989年に党の指導部と和解して国民会議派に合流した。1991年にナラシンハ・ラオ首相から計画委員会の長に任じられ、1995年には外務大臣となった。1998年には、ソニア・ガンディーが国民会議派の総裁に就くことを支持した。
2004年に与党連合の統一進歩同盟が政権を握ると、初めて下院にあたるローク・サバー(人民院)に当選した。マンモハン・シン首相の内閣で、国防大臣(2004〜06年)、外務大臣(2006〜09年)、財務大臣(2009〜12年)など、主要な閣僚を歴任した。そのほか商工大臣を務めた時期があり、財務大臣は1982年から1984年にも務めている。
2012年、ソニア・ガンディー総裁やシン首相の推挙により統一進歩同盟から大統領に指名され、選挙人団の約70%の支持を得てP・A・サングマーを破り、ベンガル人としては初のインド大統領となった。大統領は名誉職的な国家元首とされてきたが、要職を歴任した重鎮の就任により、政治的実権を持つ大統領になるとの観測もあった。2017年には「高齢に伴う健康上の問題」を理由に再選を目指さず、政界を退く意向を示し、任期は7月25日に満了して後任はラム・ナート・コーヴィンドであった。2018年6月には、元大統領として初めて民族義勇団(RSS)の行事で演説した。2019年には、後任の大統領から最高位の民間人栄誉であるバーラト・ラトナを授与された。
2020年8月中旬、新型コロナウイルス感染症への感染が判明し、意識不明の状態となった。同年8月31日、首都ニューデリーの軍病院で、84歳で死去した。
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