伝記
カール・ライナーは、1922年3月20日にニューヨークのブロンクスで生まれ、2020年6月29日に没したアメリカ合衆国の俳優、映画監督、脚本家、プロデューサー、声優である。ユダヤ人の両親イーヴィングとベッシーの子で、父はオーストリア出身の時計職人、母はルーマニア出身だったとされる。そのキャリアは70年に及んだ。
16歳のころはミシンを修理する機械工として働いていた。兄チャールズが公共事業促進局の無料の演劇講座を知って教えたことがきっかけで進路を変え、のちにライナーは兄の影響があったと語っている。叔父ハリー・マサイアスは一族で最初の芸人であり、ライナー自身も兵役の前にはキャッツキル山地で寸劇のコメディアンとして働いた。1942年10月27日に陸軍航空隊へ徴兵され、第二次世界大戦に従軍した。当初は無線通信士の訓練を受けたが、肺炎で3か月入院したのち、ジョージタウン大学でフランス語通訳の訓練を10か月受けた。そこでモリエールの劇をフランス語で上演し、初めて演出を経験した。1944年に言語訓練を終えてハワイへ送られ、テレタイプ係を務めた。硫黄島へ向かう予定の前夜、慰問部隊の『ハムレット』を観てオーディションを受け、慰問部隊に移った。以後の2年間は太平洋の各地で兵士を楽しませ、1946年に名誉除隊となった。
復員後はブロードウェイのミュージカルに出演し、『コール・ミー・ミスター』では主演を務めた。1950年、シド・シーザーの番組『ユア・ショー・オブ・ショーズ』に喜劇役者として起用され、出演しながら、メル・ブルックスやニール・サイモンらの書き手にアイデアも出した。寸劇の仕事で名前は載らなかったが、1955年と1956年には助演男優としてエミー賞を受けた。続く『シーザーズ・アワー』でもブルックス、サイモン、ウディ・アレンらと並んで執筆している。1958年11月にはCBSのゲーム番組の司会を引き継ぎ、翌年7月に降りた。1959年から翌年にかけては歌番組の主任脚本家を務め、同じ1959年に『結婚記念日』で映画に初出演した。
1960年からブルックスと組み、『2000歳の老人』の寸劇でライナーが聞き手役を務めた。この芸は5枚のコメディ・アルバムに広がり、最後の1枚は1997年にグラミー賞を受けた。1961年には『ディック・ヴァン・ダイク・ショー』を企画して制作に加わり、脚本や出演もこなした。この番組は1966年まで続いた。映画監督としては1967年に初めて手がけ、『パパはどこ?』や『オー!ゴッド』などのコメディを撮った。スティーヴ・マーティンとは何度も組み、『天国から落ちた男』『スティーヴ・マーティンの四つ数えろ』『2つの頭脳を持つ男』『オール・オブ・ミー/突然半身が女に!』といった代表作を残した。
21世紀に入ると俳優としての活動が再び活発になった。『オーシャンズ11』『オーシャンズ12』『オーシャンズ13』では往年の天才詐欺師ソール・ブルームをユーモラスに演じ、衰えを見せなかった。さまざまなテレビ番組にも顔を出し、声優としてアニメにも多く出演した。後半生には24冊を超える本も著している。息子は映画監督で俳優のロブ・ライナーである。11回のエミー賞、グラミー賞、マーク・トウェイン賞を受け、1999年にはテレビの殿堂入りを果たした。2020年6月29日、カリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で老衰のため亡くなった。
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