伝記
ジェリー・ジョン・ローリングスは、1947年6月22日にガーナの首都アクラで生まれ、2020年11月12日に73歳で没した軍人・政治家である。1979年と1981年の二度のクーデターで権力を握り、のちに民主化を進めて、第四共和政の初代大統領を2期務めた。通算約19年にわたって国を率い、ガーナ史上最長の指導者とされる。
父はスコットランド出身の化学者ジェームズ・ラムゼイ・ジョン、母はエウェ人のビクトリア・アボトゥイである。父は母子と同居することがなく、1959年にイギリスへ戻った。アチモタの学校で中等教育を終えたのは1967年で、その後まもなくガーナ空軍に入った。入隊時の書類の扱いで姓名の並びが入れ替わり、以後ローリングスと名乗ったとされる。1969年1月に訓練課程を修了して少尉に任官し、超音速のスホーイ7攻撃機の操縦で最優秀の訓練生に贈られる「スピードバード杯」を受けた。曲技飛行に長けていたという。1978年4月には空軍大尉にあたる階級に昇進した。軍内で昇進するほど特権階級との接触が増え、最高軍事評議会の腐敗や規律の乱れを目にして、社会の不正への見方を強めたとされる。アチモタで出会ったナナ・コナドゥ・アギェマンと結婚し、3人の娘と1人の息子をもうけた。
1979年5月15日、民政移管のための選挙の5週間前に、ローリングスは6人の兵士とともにアクフォ将軍の政権に対するクーデターを試みたが失敗し、逮捕された。軍法会議で公開の場で死刑を言い渡されたものの、不正への怒りを訴えた陳述が市民の共感を集めた。処刑を待つ6月4日、一部の兵士に救出された彼は、そのままクーデターを率いて政権を倒し、若手将校を中心とする15人の軍革命評議会の議長となった。評議会は112日間統治し、その間に将軍を含む8人の軍人を銃殺刑に処した。選挙を経て文民のリマン大統領に政権を移したが、経済の停滞が続くなか、1981年12月31日に再びクーデターを起こし、暫定国防評議会の議長として長期の軍事政権を敷いた。
当初は社会主義的な政策を掲げ、クワメ・エンクルマが進めた反帝国主義の外交を受け継いで反米色も帯びた。しかし1983年以降は構造調整を実施し、国際通貨基金の融資も得て経済を立て直した結果、ガーナ経済は年率5%ほどの安定した成長を遂げ、政情も落ち着いた。軍人でありながらエリートや汚職を批判し、「民衆がエリートに押しつぶされたなら、軍隊は民衆に自由を与えるべきだ」と語った。白い服にあごひげ、サングラスという姿で住民と語り合う様子は、クマのような大男と呼ばれて親しまれた。その姿勢はブルキナファソのサンカラやギニアのドゥンブヤにも影響を与えたという。
1992年に軍を退いて国民民主会議(NDC)を結成し、複数政党制の下の大統領選挙で当選して第四共和政の初代大統領となった。1996年の選挙にも大勝したが、憲法の三選禁止により2000年には立候補せず、副大統領のアッタ・ミルズを後継に推した。ミルズはこの選挙に敗れた。大統領在任中の1995年には、第一次リベリア内戦で停戦の仲介もした。退任後はアフリカ連合のソマリア特使も務めた。2020年9月に母が101歳で没すると、その葬儀で感染したとされ、11月12日にアクラの病院で新型コロナウイルス感染症のため死去し、国葬が営まれた。評価は影響力の大きさと同時に、政治的暴力や強権的な手法への批判をあわせもつ。
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