伝記
ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスは、ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)の詩人、修道女である。1651年11月12日生まれとされるが、1648年ともいわれ、洗礼の記録も「フアナ」の名で1648年、「イネス」の名で1651年の二つが残るため、研究者のあいだで議論が続いている。没したのは1695年4月で、日付は17日とも15日ともいわれる。メキシコ市近郊のサン・ミゲル・ネパントラで、庶子として生まれた。母はクリオーリョの名家出身のイサベル・ラミレス・デ・サンティリャーナで、父は兵士とも、カナリア諸島出身の海軍の船長ともされ、はっきりしない。父は早くに去り、ほとんど知られないままで、幼少期は母方の一族が暮らすパノアヤン農園で過ごした。
早熟な子どもで、祖父の書庫に自由に出入りして独学で学んだ。女子には禁じられていたが、礼拝堂に隠れて祖父の本を読んだという。3歳でラテン語の読み書きを覚え、5歳で計算ができたとされ、8歳で聖体についての詩を書き、10代になるとギリシア論理学を身につけ、13歳でラテン語を幼い子どもたちに教えたと伝わる。ナワトル語も学んだと長く考えられてきたが、近年の研究には異論もある。
1664年ごろ、16歳でメキシコシティに出て、副王の宮廷で侍女となった。大学に入るために男装の学生となることを母に願ったが、許されなかったという。以後は独学で学問を続けた。副王マンセラ侯は、17歳の彼女の知識と知性を試すため、神学者、法学者、哲学者、詩人を集めて会合を開いた。彼女が準備なしに難問に答え、居合わせた人々を驚かせたことで、評判は一気に高まった。宮廷で称賛され、結婚の申し込みも受けたが、断った。庶子で持参金もなかったが、「天才少女」として親しまれていた。
独身のまま学問を究めようと、修道女になる決心をした。1667年に跣足カルメル会の修道院に入ったが、数か月で去り、1669年にサン・ヘロニモ会のサンタ・パウラ修道院に入って、ソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスと名乗った。以後は修道院から出ずに、愛や女性の権利、宗教などをテーマに詩や散文、戯曲を書き、スペイン黄金世紀を代表する作家の一人となった。修道院の部屋はサロンとなり、副王夫人らの知的な女性たちが訪れた。男性の女性蔑視や偽善を批判したため、プエブラ司教から非難を受けたとも伝わる。
1693年、メキシコで飢饉と暴動による社会不安が起こると、著作活動を停止した。翌1694年にはサロンを閉じ、蔵書を売り払って、その金を貧しい人々に分け与えた。1695年、ペストが流行し、罹患した同僚の修道女を看病して自らも感染し、亡くなった。遺品の書物は180冊にすぎなかったという。1978年に遺骨が発見され、2011年に妹の子孫のDNAと照合されて、本人と確認された。その肖像は、メキシコの100ペソ紙幣に描かれている。
同じ年に亡くなった人物
- ピエール・ニコル (1695年)
- ヘンリー・パーセル (1695年没)
- ルドヴィカ・カロリナ・ラジヴィウ (1695年没)
- ジョージ・サヴィル (初代ハリファックス侯) (1695年没)
- クリスティアーン・ホイヘンス (1695年没)
同じ地域に関係する人物
- グレゴリオ・ブラスコ (1983年没)
- ピタ・アモール (2000年没)
- Pere Bosch-Gimpera (1974年没)
- ホセ・ホアキン・デ・エレーラ (1854年没)
- ルイス・レゲイロ (1995年没)