HISTORICAL PERSON · 472年没

オリブリオス

ローマ貴族出身の西ローマ皇帝(472年)。ヴァンダル王の子と義兄弟になった縁でガイセリックに推され、リキメルと交渉して帝位に就いた。テオドシウス朝最後の皇帝と見なせるが、同年に自然死した。

生涯
472年没
死亡地
—
出生地
イタリア共和国(ローマ県 / ローマ)
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

オリブリオス(フラウィウス・アニキウス・オリュブリウス)は、五世紀後半の西ローマ帝国の皇帝である。在位は472年7月から同年中のごく短い期間にとどまり、その支配は東ローマ皇帝レオ1世に正統なものとは認められなかった。実態としては、ゲルマン系の軍司令官リキメルに擁立された傀儡の君主であり、本人は宗教への関心が強かったとされる。

出身はローマで、古くから有力なアニキウス氏族に連なる元老院貴族である。近親者については、執政官を務めたアニキウス・ヘルモゲニアヌス・オリュブリウスとの血縁を認める説が通説だが、疑問視する研究者もおり、別の人物を父とする説も出されている。ペトロニウス・マクシムスと親戚関係にあったともいわれるが、確かなことは分からない。妻は西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世の次女プラキディアで、この結婚によって元老院貴族と、ウァレンティニアヌス朝およびテオドシウス朝の血筋とが結ばれた。有力者アエティウスは、プラキディアを自分の息子ガウデンティウスと婚約させるようウァレンティニアヌスに強いていたため、454年のアエティウス死去より前に結婚したとは考えにくい。結婚の年は記録になく、455年の混乱期とする説と、のちに解放されてからとする説があり、史料からは決められない。

454年にウァレンティニアヌスがアエティウスを殺害し、翌455年にはアエティウスに仕えた兵士らによって自身も殺され、ペトロニウス・マクシムスが帝位を継いだ。同年6月、ヴァンダル族の王ガイセリックがこの混乱に乗じてローマを略奪し、皇太后リキニア・エウドキアと二人の娘を捕虜としてアフリカへ連れ去った。このときオリブリオスはコンスタンティノープルにいたとする史家がある一方、エウァグリオスはローマから逃れたと伝える。同地に滞在するあいだ、彼は宗教に関心を示し、柱頭行者ダニエルとも会ったという。ガイセリックの息子フネリックはプラキディアの姉エウドキアを妻にしており、オリブリオスとは義兄弟の関係にあった。そこでガイセリックは、彼を西ローマ皇帝にすれば帝国へ影響力を及ぼせると考え、461年と465年に擁立をはかったが、いずれも実現しなかった。461年にはリキメルがリビウス・セウェルスを、465年にはレオ1世がアンテミウスを帝位に就けたためである。この間、西ローマ帝位はペトロニウス、ガリア系ローマ人の元老院議員アウィトゥス、マヨリアヌスと目まぐるしく替わり、マヨリアヌスは461年に将軍リキメルに殺された。一方、462年には、コンスタンティノープルで娘アニキア・ユリアナが生まれ、464年には同地で執政官に就任している。ガイセリックとの結びつきが経歴の妨げにならなかったことがうかがえる。

472年、オリブリオスはレオ1世の命を受け、アンテミウスを支えるためイタリアへ派遣された。だが、アンテミウスと対立していたリキメルと交渉するうち、不本意ながらも皇帝として宣言されたと伝えられ、競争相手が殺害されたのちに反対者のない状態で即位した。実権はリキメルとその甥グンドバトが握っていた。治世はあっけなく終わり、妻や娘に先立って同年のうちに自然死した。妻プラキディアとの結婚により、テオドシウス朝最後の皇帝とみなすこともできる。

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